いまさら映画感想① ナスターシャ・キンスキーの魅力と『パリ・テキサス』の普遍性
先日、ヴィム・ヴェンダース監督の『パーフェクト・デイズ』を鑑賞し、その静かで詩的な世界観に心を深く打たれた。その感動がきっかけで彼の代表作である『パリ・テキサス』に興味を抱き、観ることにした。1980年代の作品ということで古臭さを少し心配していたものの、実際にはその内容に驚くほどの深みがあり、気がつけば三回も立て続けに観てしまったほどだ。
最初に観た際、ナスターシャ・キンスキーが出演していることを知らなかった。ただ、ジェーンを演じる彼女の存在感に強く惹かれ、「なんて素晴らしい女優だろう」と感銘を受けた。そして後からキャストを調べ、彼女がキンスキーであると知ったとき、自分の中でその名前が確かに記憶にあることに気づいた。ただ、名前だけを聞いたことがあるだけで、その顔を思い浮かべることができなかったのだ。
では、なぜ彼女の顔を知らなかったのだろうか。名前を耳にしたことがある程に一世を風靡した俳優であるにもかかわらず、自分の中では勝手な先入観で「背が非常に高く、骨太で、目鼻立ちのくっきりとした北欧系の女性」を想像していた。しかし、実際に画面で見た彼女はその想像とは大きく異なり、言葉にできないほど独特の魅力を放っていた。華奢で身長も170は無い。今更なのだが、この意外性こそが、ますます彼女に対する興味を掻き立てている。
繊細な演技で描かれる複雑な感情
ナスターシャ・キンスキーが演じるジェーンは、物語の中で直接的に登場する場面は限られているものの、物語全体の中核を担う重要な存在である。特に印象的なのは、ガラス越しにトラヴィスと再会するシーンだ。ピンクのセーターに包まれた彼女の姿は、優しさと儚さを同時に体現しており、その視線や声のトーンには、彼女の心情が静かに滲み出ている。柔らかな声は母性や優しさを想起させる一方で、その奥には深い孤独や葛藤が潜んでいる。この場面での彼女の繊細な演技は、控えめながら圧倒的な説得力を持ち、観る者を物語に引き込む。
また、電話越しに自身の思いを語る場面では、声のトーンや間の取り方が、ジェーンの抱える後悔や希望を的確に表現している。特に、この場面ではナスターシャ・キンスキーの控えめな演技がジェーンというキャラクターにリアリティを与え、物語全体のテーマと共鳴しているのが感じられる。
美しさが象徴するキャラクターの深み
ナスターシャ・キンスキーの美しさは単なる外見にとどまらず、ジェーンというキャラクターの本質を象徴する重要な要素である。彼女の美貌には、儚さや傷つきやすさが宿り、それがジェーンの背景や内面の複雑さを暗示する。例えば、彼女の微笑みの奥には過去の喪失や未来への不安が垣間見える。
また、彼女の外見がトラヴィスの記憶と結びつくことで、物語全体のノスタルジックなトーンが強調される。ジェーンはトラヴィスにとって、再び手に入れることのできない過去の象徴であり、その美しさは物語の切なさを一層際立たせる役割を果たしている。
普遍的なテーマを体現する存在
『パリ・テキサス』は、単なる1980年代の映画ではなく、時代を超えて愛される普遍性を持つ作品である。その中心にいるナスターシャ・キンスキーは、単なる俳優ではなく、物語の魂そのものと言える存在感を放っている。彼女が具現化したジェーンのキャラクターは、愛と喪失、再生という普遍的なテーマを体現し、観る者の心に永遠に残る象徴的な存在だ。その魅力は時代を超え、映画という枠を超えた普遍性を作品にもたらしている。
了
追記
『パリ・テキサス』におけるライ・クーダーの音楽は、広大なアメリカ南西部の風景と調和し、物語に静けさと深みを与えている。彼のスライドギターが奏でる孤独感漂う旋律は、台詞の少ない場面でキャラクターの感情や物語のテーマを雄弁に語る。
特に冒頭の砂漠を歩くトラヴィスの姿に流れる音楽は、彼の抱える喪失感を象徴し、観客を物語の世界へ引き込む。また、ラストシーンでは音楽が余を残しつつ、再会と別れの意味を深く問いかける。
ライ・クーダーの音楽は、映像と一体となって『パリ・テキサス』を時代を超えた普遍的な作品へと昇華させ、観る者の心に長く響き続ける。
ちなみに、ここでは使用されてはいないだろうが、ライクーダの使用するエレキギター(クーダキャスター)のピックアップは60年代の日本製である。私も所有しているが、実に素晴らしい音だ。個人的にはスライドギターには最適なピックアップだと思う。