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「笑いの才能を育む:子どもたちの小さなユーモアに気づく大人でありたい」
年末年始にテレビでお笑い番組を観ていると、その魅力に改めて気づかされる。 笑わせることは一見単純な行為に思えるが、実際には高度な才能を必要とする。そして、それは他のどの感情を引き出すことよりも、特別に優れた才能であると感じる。
人間には喜怒哀楽という感情があり、その中で「怒らせる」や「悲しませる」といった感情を引き起こすのは比較的容易だ。たとえば、嫌な言葉を投げかけたり、辛い出来事を描写したりするだけで、多くの人が怒りや悲しみを抱くことができる。しかし、「喜ばせる」や「楽しい気持ちにさせる」となると、それにはもっと工夫やセンスが求められる。そして、特に「笑わせる」ことに至っては、その難度はさらに高い。
笑いを引き出すためには、観衆の期待を裏切るような意外性や、共感を呼ぶエピソードが必要だ。しかし、必死に笑わせようとするあまり、押しつけがましくなると、かえって観衆の心は離れてしまう。面白いと感じさせるには自然さや余裕が不可欠であり、時に視聴者側が「これから面白いものを見るんだ」と構える心の準備が、笑いをより大きくすることもある。このように考えると、お笑い番組というのは、出演者と観衆との間に暗黙の相互理解があって初めて成り立つものだろう。
一方で、私が生徒を指導する中で気づいたことがある。それは、子どもたちの中には、特に意図して笑わせようとしなくても、自然と周囲をクスッと笑わせることができる子がいるということだ。彼らの話し方や仕草、物事の捉え方には独特のユーモアがあり、それが周囲の人々を和ませる。
では、彼らにはどのような資質が備わっているのだろうか。おそらくそれは、観察力や共感力、または自己表現の自然さといった能力に由来するのかもしれない。さらに、場の空気を読み、適切なタイミングで軽妙な一言を発するセンスも重要だ。こうした資質は、後天的に鍛えられるものもあるが、ある程度は生まれ持った才能に依る部分も大きいのではないだろうか。
お笑い芸人の努力や才能に敬意を払うと同時に、自然に人を笑顔にできる子どもたちを見ていると、笑いには人間の深層に触れる特別な力があることを改めて感じる。この力をどのように活かすかは、私たち大人の責任でもあるのだろう。
そして、子ども達が人を笑顔にする才能を伸ばせるように、私自身も良き観衆であり続けたいと思う。 笑いは一方的なものではなく、共有されることで初めてその価値が高まる。子どもたちがその才能を安心して発揮できる環境を作るためにも、私は彼らの小さなユーモアに気づき、それを大切にする姿勢を忘れないようにしたい。