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やってみなくちゃ
股関節の手術の影響で、私の歩き方はびっこでした。
私はちゃんと歩いているつもりでしたが、小さい頃のビデオを見ると一目で脚が悪いんだなーと分かる歩き方でした。
でも、そんな事はお構いなし!
運動することに制限もなかったので、運動会も全部みんなと同じようにやっていました。
正確には出す必要がなかった?
手術をした左脚は、可動域に制限があり私の記憶にある中では胡座はできたことがありません。
体育座りも、左脚はまっすぐ膝を抱えることが難しくていつも左だけ少し内股にして抱えていました。
それくらい、外旋が途中でストッパーがかかったようにびくとも動かなくてできない動きが沢山ありました。
できる事は何でもチャレンジしました。
スキーもスケートも跳び箱も、体を動かす事は大好きだったので上手くできないと悔しくて何度も練習したり笑
運動会の徒競走、いつも横一列に並んでいたはずの友達の背中を追いかけていました。
心の中では、"ビリでも仕方ない。脚が悪いんだから…"と必死で自分に言い聞かせて校庭のトラック最前列に陣取った両親の前を笑顔で駆け抜けるのが精一杯。
本当は泣きたくて、途中棄権できるならしたいくらい逃げ出したい気持ちでいっぱいで。
とにかく、どうしようもない現実が悔しくて仕方ありませんでした。
全速力で走っている…つもりでしたが、親が撮ってくれたビデオを見ると反り腰で走っているとは遠い姿でしたが笑
それでも、いつも1等賞を静かに狙っていました。
そして、小学2年生の運動会。
障害物競走。
私は、スタートラインに立ち隣に並んだ友達を横目にいける!1等賞取れる!と…闘志をメラメラと燃やしスタートの合図を待っていました。
「位置について…よーい…」
パーン!
銃声と共に、とにかく前を見て走り抜けました。
初めて、自分の前に誰の背中も見えないコースをピンと張られたゴールテープに向かって。
ゴールテープを切った瞬間の高揚感、喜び、空気、今でも鮮明に覚えています。
上級生が、私を見失い「1位の子〜」と呼ぶ声に「はい!!はい!!!」と駆け寄って画用紙でできた1等賞のピンクの賞状を大切に受け取りました。
私にとっては、それが勲章でどんなに立派な賞状よりも輝いていて誇らしいものでした。
多分、一生忘れることのない人生で最初で最後の徒競走での1等賞。
走ると言えば、小学生の頃は毎年冬の恒例行事で持久走大会がありました。
こちらは、運動会と違って長距離なのでビリという事はなかったのですが高学年になるに連れて順位を上げていきました。
正確には、学年が上がるごとに同級生の本気度が下がっていって本当なら私より前を走っている子も途中で歩いていたり。
そんなのお構いなしで、私の目標は6年間で10番以内に入る事。
毎年本気モードで、走り方や息遣いを自分の中で分析してこの方が苦しくないなとか最初に頑張りすぎるとダメだなとか練習の時から頭の中はフル回転していました笑
そして迎えた、小学校生活最後の持久走大会。
途中で歩く子達を追い抜きながら、絶対10位以内に入るんだ!とひたすらにゴールを目指しました。
そして、ゴールしてもらった順位の書かれた紙には…
「10」
最後の最後で、目標達成!
嬉しくてたまりませんでした。
脚が悪くて負けず嫌い。
"できっこない"でやらないのは、もったいない。
何でも、やってみなくちゃ分からない。
そんな私の小学校生活でした。