さて、クリスマスに退院が叶うのか… 翌日、M先生が病室にやってきて「Manaちゃん、クリスマスに退院OK!」と言ってもらいました。 そうと決まると親に連絡をして、帰る時の服装を決めたり化粧ポーチを持ってきてもらうように頼んだり笑 肝心な脚の方は、1/4荷重で帰るので日常生活は全て松葉杖です。 病院の中は、ほぼ車椅子だったし松葉杖で1人で歩いて良いよって言われて病棟の中は歩いてたけど売店に行く時は車椅子だったし大変さを分かっていなかったなぁと今はすごく思います。 とに
18歳の入院生活は、人生初のリハビリを経験し車椅子のゴールド免許を取得しました笑 小さい頃はリハビリがなかったので、リハビリ自体も初体験。 足首の運動から始まり、少しずつ筋肉に動くよーと呼びかけるようにPTの先生の指示で少しずつ動かします。 この時は金属のプレートで骨を固定していたので、術後は異物感がありました。 1/4荷重からスタートで、ウォーキングマシンのような機械に立って荷重の感覚を掴みます。 面白いもので、ただ立つだけだと過荷重になりそうなのに体が庇うのでむ
翌朝、私が一番驚いたこと… それは、朝ごはんを食べるのにベッドの頭を起こした時に初めて手術を終えた自分の脚と対面した時のこと。 「え?この脚、誰の??」 嘘みたいな本当の話で、私は記憶にある中で脚を伸ばして座っていても左脚がクイっと内股になるのが当たり前でそれが私の脚だったのに… たった一晩で、新しい脚を手に入れたようなそんな感覚でした。 本当に一瞬、自分の脚だと認識できなかったのです。 さて、手術翌日からリハビリは始まります。 まだバルーンも入っている状態で、
18歳にして4度目の手術をする事となり、当時の主治医はRAOという術式を予定していました。 手術は主治医の上司の先生と一緒にやるから…という事で、M先生の診察も受けることに。 すると、私のレントゲンと経過を見てRAOで痛みが取れるのか疑問だと言われました。 そして、手術の準備と並行して術式の検討を重ねてくれました。 学会に私のレントゲンを持って行って、全国の股関節専門の先生たちと話し合ってくれたり。 私は、その間に術前検査と貯血が進んでいきました。 術式が決まって
高校を卒業するまでは、私は経過観察で診察に通っている程度で相変わらず体を動かすことが大好きで出来る範囲で体育もスポーツもやっていました。 小学生の頃は、クラス替えのたびに担任の先生が私の脚のことをクラスメイトに話をしてくれていましたが中学の頃からはそれも無くなり私自身も多少びっこは残っていても普通に歩いたり走ったり出来ていました。 高校は女子校、体育の授業中に嬉しかったことがありました。 その時の体育の先生は女の先生で、授業中に話しかけられて「脚、どうした?」と。 私は
股関節の手術の影響で、私の歩き方はびっこでした。 私はちゃんと歩いているつもりでしたが、小さい頃のビデオを見ると一目で脚が悪いんだなーと分かる歩き方でした。 でも、そんな事はお構いなし! 運動することに制限もなかったので、運動会も全部みんなと同じようにやっていました。 正確には出す必要がなかった? 手術をした左脚は、可動域に制限があり私の記憶にある中では胡座はできたことがありません。 体育座りも、左脚はまっすぐ膝を抱えることが難しくていつも左だけ少し内股にして抱えていまし
さて、3歳で術後のリハビリは?と思われるかもしれませんが何もなかったそうです。 理由は、リハビリなんてしなくても動けるようになれば自分でどんどん動くから。 今、同じ手術をした3歳の女の子がいたとしたらもしかしたらリハビリもきちんとあるのかもしれないけど当時はそういう考え方でしないのが当たり前だったみたいです。 言われてみれば確かに、それくらい小さな子供だとリハビリで動き方を教えられてもなかなかそれ通りにはいかないだろうし自分の好きに動かせてもらえない事でぐずってしまうか
2度目の手術は、3歳の誕生日を目前にした頃。 術式はRAOでした。 簡単に脱臼してしまうほど被りのない臼蓋に、骨盤の腸骨を削って移植。 それでも足りない分は、人工骨で補うと言う大掛かりな手術でした。 その手術の時、当時の主治医から間違いなく輸血が必要になるとの説明があり父は「血液センターのものではなく、母親の血を使って欲しい」と頼んだそうです。 先生からは *100人に1人くらいの割合でアナフィラキシーショックを起こすことがあること *後遺症として、脳に障害が残る可能性が
私の人生は、真っ青な空と眩しい太陽に照らされてとにかく前へ!前へ!雨も雪も嵐の夜も楽しみながら今がある。 私は、現在33歳。 5年前に結婚して、今年初めての出産を終えました。 ここからは、私のこれまでを少しずつ書き綴っていきたいと思います。 私は先天性股関節脱臼で産まれました。 本来、臼蓋にしっかりはまっているはずの股関節の骨頭が抜けてしまっている状態でした。 私が産まれた当時、赤ちゃんの股関節脱臼の検診は触診のみでレントゲンは撮らず開きと動きで診断されていました。