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「完成」が約束されていないパズル🧩
って、やってみたいと思いますか?
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今回は「家族」の偶発性、そして脆弱性について扱っていこうと思います。
スマフラの理念や事業内容を執筆する予定だったのですが、
急遽書きたいエピソードが出てきたので忘れないうちに(笑)
「帰る家がない。」
私事ではありますが、先週末のお休みを使い、友人とプチ旅行(?)へ行ってきました。
(冒頭のサムネイルはその時の写真です!📸)
その日は遠出ということもあり、朝の9時前に待ち合わせました。
夜型の私たちにとっては、まあ眠いったらありゃしない🥱
眠さ半分高揚感半分、電車に揺られながら
ゴールデンウイーク中の出来事など他愛のない話をしておりました。
彼女は沖縄出身ということもあり、沖縄に帰郷していたのですが
家庭事情により実家には戻れず。
今回に限った話ではなく、就職を機に福岡で暮らすようになった数年前からずっと、
沖縄に戻っても「帰る家がない」ー
そんな彼女は「おばあちゃんチャンス」を使い(笑)、今回もおばあちゃんと数日間ホテル滞在をしてきたとのこと。
大学を卒業するまで(あるいは卒業後も)ずっと過ごしてきた地。
当然、再会したい友人もいる。また行きたい場所もある。
だけど、帰れる家がない。
ホテル代も馬鹿になりません。車のレンタル代も必要です。
「沖縄に帰ることがこんなに難しいのか」
「もしかしたら今後帰らなくなってしまうかもしれない」
彼女の持つ寂しさと、悲しみと、悔しさを表す言葉だと思います。
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彼女についてもう少し触れておくと、
ご両親が離婚したのち、お母さんと住んでいたものの様々な要因があり、家出。
お父さんの家に移るものの、お父さんが新しいパートナーと暮らすことになったので、次はお父さん方のおばあちゃんの家に移ることに。
しかし今度はおじいちゃんとの関係が上手くいかない。
彼女によると、おじいちゃんはご自身の社会的地位やご経験の中で培われた価値観の中で、ほかの親戚を引き合いに出し優劣をつける、とのこと。
その中でたくさん傷ついたこともあり、おじいちゃんに対して苦手意識を持っている彼女。
そんな中でも「細かいことを気にしない」おばあちゃんは自分に対しても明るく、優しく接してくれたそう。
「そんなおばあちゃんだからあのおじいちゃんとやれてる」ものの、
「相談した時に軽くあしらわれてしまったり、向き合ってくれない」ー
皮肉にも、今度はおばあちゃんの「その」性格によって傷ついてしまう。
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あまりにも偶発的な「家族」
人それぞれ、生まれ持った性質、特性、
そして後天的に獲得した経験とそれに基づく価値観があって、
そうした個々人の共同体のひとつが「家族」だと思います。
ひとりひとりのピースが上手くはまってくれれば、心のよりどころとなり、
自尊心をはぐくみ、止まり木となり、生きていくうえで大きな財産となる「家族」ですが、
皮肉にも、彼女の例のようにあまりにもきれいに掛け違ってしまうこと
だって多分にあるということです。
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家族として「在れた」人、
「在れなかった」人
大好きな家族、親孝行したい、家族を大事にー
よく聞く言葉たちです。
盛んにおこなわれていた「親ガチャ」論争の中で、家族関係の大変さなど
そんなものは甘えであるという否定的な意見もたくさん見かけました。
当事者と、そうじゃない人の壁は厚いなあとつくづく感じます。
経験していないこと、知らないことなので当然だとは思いつつ、
その何気ない言葉で傷つく人がいるのも事実です。
運よく、うまいこと、いい塩梅に家族の一員として「在れた」人たちも世の中には多いと思います。
しかしその反対に、驚くほどきれいなくらい、家族として在れなかった(在れない)人たちもいることを知ってほしいです。
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私は彼女に出会えて本当に良かったと思っています。
彼女に深く共感し、痛みがわかる(気がする)からです。
そして、私自身もまた、彼女から理解してもらえている気がするし、
痛みを一緒に感じてくれていると思うからです。
この「分かち合い」の輪をもっともっと広げていきたいなと思います。
同時に、少しでも「壁」を薄くしていけるように、
そして無知によって発せられる言葉や行動で傷つく人が減るように、
今後も私自身知見を広げながら地道に発信活動に励んでいく所存です💬
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完成が約束されていないパズル
家族のピースには上手くはまらなくとも、
彼女と私の関係のように
必要とする人がいて、自分も必要とされて。
会社からは
期待していただき、多くを与えてもらい、あたたかさを知って
それを周りに還元するようになり。
でもそもそもを辿ると、社会の無理解があるからこそ
絶望し、怒り、原動力になっており。
家族って、人生って、おもしろいですね🍃