「よそよそうちうち」で自己肯定感を上げる
こんにちは、インメリです。
『よそはよそ、うちはうち。』
幼いころによく聞いた言葉ではないでしょうか?
この言葉、ぼくは自己肯定感を上げる言葉だなと考えています。
➀.「自己肯定感が高い状態」とは
そもそも、自己肯定感が高い状態とはどのような時なのでしょうか?
自己肯定感が高い状態というのは、
”自分の可能性を自分自身が信頼できる状態”
のことを言います。
つまり、
「自分には強みもあるが、弱みもある。それらを含めたすべてが自分であり、そんな自分でも、自身の課題を解決することができる」
という自分自身が持っているすべてを受け入れ、なにがあっても自分を信じることができる状態が、自己肯定感が高い状態になります。
➁.自己基盤を整える
自己肯定感が高い状態だと、同時に自己基盤が整っている状態でもあるのです。
自己基盤が整うとは、”自分自身の心身が常にベストな状態”、
即ち、健全な自己肯定感をしっかりと持てている状態であることです。
自己肯定感が高く、自己基盤が整っていると、多少批判や否定的な言葉を浴びても、動じることはありません。
「そんなこともあるか」と、中傷的な言葉でも受け止められる余裕が生まれるのです。
自己基盤を整えることは、気持ちも前向きな状態になるため、
ものごとの見方や考え方、あり方についても様々な視点で眺めることができ、視野が広がるきっかけにもなり得るのです。
ただ人間だれしも、常にポジティブに自身に溢れた状態でいることは難しいと思います。
ぼくも、辛いときは気持ちが沈んでしまうし、感傷的になってしまえば涙がこぼれてくることだってあります。
そんな時があれば、度々「自分はどうしてダメなのか、どうしようもなく弱い」と落ち込んでしまうことも多くあります。
しかし、そんな自分でさえも一つのパーソナリティであり、
自身を認め、受け入れることで、『自己肯定感を高める』きっかけになるのです。
➂.他人(ひと)は他人、私は私
よく、周りの友達が最新のゲーム機を持っていることがうらやましく、
自分も欲しいから買ってほしいと親におねだりすると、
「よそはよそ、うちはうち。」
といった、お決まりの言葉が返ってくるのは王道かと思います。
ぼくが小学高学年くらいの年になると、周りの友達がおとな用の自転車を乗り回しているのを目にしたことがありました。
このくらいの年代にとってのおとな用自転車は、ぼくにとっては大きくてスマートに見え、子供用自転車を卒業したいと親に伝えたことがありました。
それでも親には、「まだ身体が小さいから、おとな用は操作もしずらく危ない。」と突っぱね返されたことがあります。
子どもの頃は特に、周囲への憧れや自分も同じような立ち位置でいたい、周囲から置いていかれたくない、と思ってしまうものだと思います。
ぼくは、周りと同じものを持ち、同じ考えを持つことも大切だと思います。
その反面、そこに執着しすぎてしまい、一人ひとりの個性が削がれてしまうのではないかとも思うのです。
左に進みたいけど、みんなが右に進んでいるから自分も右に進もう。
周りが進学するから、就職活動しているから、とりあえず自分もしよう。
同じ行動をすれば浮くことはないですが、何かが突出することもなくなってしまう。
当たり障りがなく、やりたいことがわからないまま淡々と生活が流れていってしまう。
普通に暮らしていきたいのであればその選択はまったくもって間違っていません。
でも、少しでも自身の胸の内にやりたいことがあるなら、
叶えたいことがあるなら、
それが周りとは進む路線が異なっていたとしても、
僕は堂々と胸を張って進んでいくべきだと考えます。
その進む方向を周囲が批判しても、否定しても、
「そういった意見もあるのか」と受け止め流すことが大切であり、
自分には周りとは違う感性を持っている、と受け入れ、
自身の可能性を信じることが大切です。
『他人(ひと)は他人、私は私』
自分の道を他人に操作されてたまるものですか。
【今日のまとめ】
・自己肯定感が高い状態 = 自分の可能性を自分自身が信頼できる状態
・自己基盤を整える = 自身の心身がベストな状態、つまり健全な自己肯定感を持てている状態
・よそはよそ、うちはうち ⇒ 『他人(ひと)は他人、私は私』へのマインドチェンジ