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私のうつ病体験記 適応障害発症まで②
退職を伝えた
上司に退職を伝えたのが8月。
9月に他のセンターへの研修が控えていた。
その研修自体に行けるメンタルの状態でなく、その研修すら無しにして欲しいとの理由で退職を申し出ていた。
→今思うと思考回路がおかしい。かなり追い詰められていたのだろう。研修に行きたくないから退職するって、どう考えてもおかしい。
その8月もメンタルに響くような事象がいくつか発生。その都度、夜にはお酒を飲んでいた。逆を言うと、お酒を呑めていたので自分は健康、正常だと思い込んでいた。
メンタルボロボロの中の研修の日
9月、その研修の日が来た。ボロボロの心は、新しく人と会うなんてことを拒否した。
朝から焦燥感に駆られ落ち着きがなかったのを覚えている。
この日初めて「休職」ということを考えた。
研修先に行く道中、心療内科を調べた。
そのLINEのアカウントまで登録。研修に行くのを辞めて病院に行こうとしたが、結局は研修先に行った。
待ち合わせ場所。ここで「休職させてください」と言おうと思ったが、現場に来た上司の顔を見ると言えなかった。
→翌年、転職先でうつ病となった今、ここで心療内科に行かなかったのは後悔でしかありません。
研修先に行くと、非常に朗らかな人ばかりで、久しぶりに仕事で楽しいと思えた。行く気もなかった食事会へ行き、お酒も飲んだ。
帰り道、今朝のあの焦燥感はなんだったんだろうと思った。勤め先がおかしいだけで、良い職場環境は他にもあるんだ、と前向きな気持ちに溢れてしまった。
改めて健康だと過信したわたしはこの年に心療内科に行くことは無かった。
9月の研修後に上司に呼び出され
「研修先への異動ではダメか?」と言われた。
SOMPOグループの会社で勤務していた。テレビでは日々BM社の報道がされていた。親会社の損保ジャパンが決めたことは否応なしにやらなければならない。
そのことで強い不信感が募っていた。
「辞めると言っているのに、この人は何を言ってるんだろう」
そんなことを思ったのを覚えている。
ぶっちゃけ、今思えば親会社の意向など、末端グループ会社の平社員の私が責任を感じること、不信感なんて持つ必要はなかった。
上司へは退職意向を改めて伝え、私は転職活動に邁進し始めるのであった。
これが2023年9月までの話