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「改革」を妄信できない時代がやってきた【ESAT-Jについて思うこと】
ここ数ヶ月あまり、コツコツと情報に接してきた問題があります。それは、今秋東京都の都立高校入試で実施が予定されている英語のスピーキングテスト「ESAT-J」です。
これが、いろいろ波紋を広げています。
テストは、民間に委託されており、受注したのは、ベネッセコーポレーションです。ベネッセといえば、共通テストの記述試験の採点請負であったり、英語の外部模試GTECでひと悶着あった企業です。
ベネッセコーポレーションとしては、頓挫またはペンディングした大学入試ビジネスのこともあり、このESAT-Jは、「悲願」なのかもしれません。
「改革」は、もっともらしく見えるからこそビジネスチャンス?
なんの先入観もなければ、英語にスピーキングテストを実施することは、一見良いことに見えます。実際にそうなのかもしれません。ただ、商売的に見れば、つけ入るチャンスは、もっともらしいものでなければならないとも言えます。スピーキングテストは、まさにそれで、改革にふさわしいものであるように思えるからこそ、実施が前向きに検討され、推進されるのしょう。
最初から商売ありきで参入しようとする業者から見れば、スピーキングテストを実施する意義など知ったことではないとも言えます。それが企業の論理の一つの側面であることはやむを得ないことでもあります。
教育改革であったり、大学入試改革などという言葉を目にすると、無条件に良いものであると感じてしまう社会にあって、このような形で企業の論理が入り込むことは、ある意味、自然なことなのかもしれません。
ただ、将来のある子供たちが巻き込まれる「改革」である限り、現実がこうだからと是認することは、あってはならないことだろうと思います。
指摘や問題に整合性があると思われる以上、これを放置してまで実施を急ぐ理由はどこにもないと思います。
ベネッセがESAT-Jを強行する「合理的」な理由
都議会与党で、小池百合子東京都知事が設立した都民ファーストの会の議員のうち、ESAT-Jに疑問をもつ3人が除名されるという事態にもなっています。
このESAT-Jが政治と密接に結びついて実施されるテストであることを示しているのかもしれません。このあたりもベネッセ仕草といえるかもしれません。
今回(も)、ベネッセは企業イメージをそれなりに棄損しつつも、このスピーキングテストを強行しようとしていると感じます。
それは、このESAT-Jが全国への広がりを意識しているからでしょう。東京都での実施は0を1にする重要な突破口なのだと思います。
先々のことを考えれば、市場の拡大を見込めるビックビジネスである以上、東京での強行突破は、彼らの論理では合理的なのでしょう。
「改革」には慎重であるべき時代なのか。
今は、金曜日に投函した郵便物は、市内であっても配達は早くて月曜日となる時代です。さらに、郵便局での金融の扱いについて、手数料が大幅に引き上げられています。
小泉郵政改革を熱狂し、支持した人たちは、この「改革」の成果をどう見ているのでしょうか。
ここのところ、「改革」と称するもので、成果を実感するものはあったでしょうか?
「政商」納言たちの懐に私たちの公共財が消えて事例も多かったのではないでしょうか。
私は、「改革」といわれる事柄について、まずは疑うことが習慣になってしまいました。
たとえ、「改革」のアドバルーンが上がったとしても、問題の是非がハッキリするまでは、評価を保留するのがいいのかなと思っています。
それにしても、都立高校入試における英語スピーキングテスト、制度設計の杜撰さは、看過できないレベルだと感じます。どうして、このように制度設計がグダグダになるのか。それについて別の記事で書いてみたいと思います。