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日曜日の本棚#48『月は無慈悲な夜の女王』ロバート・A・ハインライン(ハヤカワ文庫SF)【SFの商業性とハインラインの文学性が生み出した衝撃波】
日曜日は、読書感想をUPしています。
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今回は、SF界の世界的レジェンド、ロバート・A・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』です。原題は、The Moon Is a Harsh Mistressですが、この日本語訳は、とてもいいですね。小説の世界観にとてもマッチしています。
日本では、ハインラインと言えば、『夏への扉』が人気ですが、本家アメリカでは、本作がダントツの人気だとか。思想的な点では、意外な印象もありますが、それがアメリカの懐の深さでもあるのでしょう。
作品紹介(ハヤカワ文庫 作品紹介より)
2076年7月4日、圧政に苦しむ月世界植民地は、地球政府に対し独立を宣言した! 流刑地として、また資源豊かな植民地として、月は地球から一方的に搾取され続けてきた。革命の先頭に立ったのはコンピュータ技術者マニーと、自意識を持つ巨大コンピュータのマイク。だが、一隻の宇宙船も、一発のミサイルも持たぬ月世界人が、強大な地球に立ち向かうためには……ヒューゴー賞受賞に輝くハインライン渾身の傑作SF巨篇。
所感(ネタバレを含みます)
◆市民の革命の萌芽は日常に潜み、権力者の革命は、日々進行している。
本作は何の小説か。それは、「革命」の小説である。
革命は、左翼の専売特許ではない。
私は今は革命の時代であると思っている。そして、革命を起こしているのは、新自由主義者である。彼らは、資本主義のダイナモに忠実である。自らの利益のために徹底して私たちの生活を破壊しているからだ。彼らにとって、収奪こそが資本主義の根源的な原理であるという点には、いささかの疑問もないのであろう。だから、行動に迷いがない。そのため、とても直線的に動いている。
この直線的な動きは、まさに革命というべきものであると私は思う。
そして、彼らは、これを「革命」とは言わない。
この手垢のついたネガティブな言葉を避けて、こう主張する。
「改革を進めるべきだ」と。
そして着々とそれを推進している。先進都市は、「OSAKA」だろう。
PublicからPrivateへ、まるでPtoPというビジネスモデルがあるかのような、「鮮やかな」変化であり、大衆の熱狂が支えるという点では革命なのだろうと私は解している。
現代における革命は「革命らしくない」からこそ革命にふさわしいのだろうと思う。東大安田講堂事件やあさま山荘事件など革命でもなんでもない。ただのテロ行為であるという理解でいいのではと思っている。
であるならば、今は革命の時代であるという認識は私の中では高まっている。
では、権力者の起こす革命は、日々進行しているのであれば、市民が起こす革命はどのようにして起きるのか。
市民の起こす革命の萌芽は日常に潜んでいる。
ハインラインは、本作でそう書いている。
その意味では、本作はとてもリアリティがある。
本作は、3章構成だが、ハインラインは、第1章に半分を費やしている。そこで描かれるのは、植民地である「月の世界」である。彼らは、地球に送る小麦の生産に従事させられている。
南北戦争前のアメリカ南部の綿花地帯と囚人の送り先だったかつてのオーストラリア大陸を合わせたような世界が、本作の「月の世界」である。そこでは、男性の半分しかいない女性が主導権を持ち、一妻多夫制や部族型結婚、家系型結婚が当たり前として描かれる。
人間はそんな「異様な世界」にすっかりと馴染んでしまうものであることが丁寧に描かれる。人間の現実対応力の高さとも言えるが、それは言い換えると、革命は、普通に過ごしていても起こりえない発想であることもよく理解できる。ましてや、従属されられる側には、反乱を起こさないような周到な仕掛けがあるとも理解できる。
そして、それは日常に根を降ろし、しっかりと権力から監視されている。『1984』のように「わかりやすくはない」のである。
主人公・マニー(マン、マヌエル)の視点で描かれる日常は、私たちから見えている日常そのものだ。
そして、彼は革命の萌芽をみつける。相棒のコンピューター・マイク(マイクロフト)に意思があることに気づくのである。
◆「たったそれだけ」で世界は変わることの意味と理解不能という強烈なリアリティ
本作は、マニーが意思をもつコンピューター「マイク」の存在に気づくことから話が始まる。そして、その微かな事実から、連鎖反応が起き、世界は変わる。それは、売れない絵描きが世界を変えたことと同様に「たったそれだけ」で世界は変わるということをハインラインは、自らの想像力の世界で描いている。
本作は、マニーの視点から描かれるため、とても非ビジュアル的である。そのため、非常に分かりにくい小説でもある。
しかし、考えに考え抜かれたハインラインの描く「月世界」は、まるで本当に存在するかのようなリアリティがある。その証拠に、随所に「理解不能な描写がある」からである。私たちの理解の及ばない世界を構築し、その世界でキャラクターを動かしているから、理解のしようがない。
私はストーリーよりもこちらに魅了されてしまった。
ここまで世界観を構築していながら、敵となる地球連邦政府のキャラクターは存在しない。徹底したマニーの一人称でこのような作品を書ききる凄さ。
だからこそ、本作は歴史を変えるほどの名作なのだろうと思う。
◆TANSTAAFL(タンスターフル)を思い知るべきは誰か。
ハインラインは、哲学的な思想を前面に出す作家でもあるというのが私の理解であるが、本作は、第3章のタイトルでもあるTANSTAAFL(タンスターフル)であることは間違いないのであろう。和訳は「無料の昼飯はない!」(ちょっと残念な訳かもしれない)。
TANSTAAFL(タンスターフル)は、There ain't no such things as a free lunchの頭文字をとった言葉である。
本作では、大衆へのメッセージとして書かれているが、それは、1966年の発表という時代性もあるのであろう。
現代では、この言葉は、巨大な資本の力によって、やりたい放題やっている大企業に向けたメッセージとなろう。
彼らは、There ain't no such things as a free lunch の言葉の本質的な意味を噛みしめるべきである。
彼らは、大衆が支払った税で社会にフリーライドしようする発想が通じると思っている。そんな甘っちょろい思考で資本主義社会で生き延びることができると思っていることが根本的に間違っていると私は思う。
資本の力で政治家を動かし、公的資金に寄生して、「フリーランチ」を得ても、市場経済での足腰が弱れば先はない。当然のことである。
その意味では、アメリカの真似をしているのだろうが、「ショックドクトリン」の先進国は、中国の目を見張る急成長になす術もなく怯えているのが現実である。
「フリーランチなどない」と覚悟を決めない限り、永遠に「消費税を上げろ」「法人税を下げないと海外に出ていくぞ」と妄言を吐き続ける他はない。
楽天の三木谷氏は、SNSで「財界人らしくない」発言をしているようであるが、それよりも自社のフリーランチ構造について、猛省すべきだ。規模に見合った税を払い、社会の一員としての責務を果たしてから何かを言うべきであろう。
大衆は、選挙権という「岩石噴出機」を持っていることを忘れてはいけない。メディアを通じて多少はコントロールできるかもしれないが、搾取が臨界点に達すれば、それも無意味化するだろう。
そうなる前に、財界人は、襟を正し、この世にフリーランチなどないことを理解すべきだろう。
◆革命はうまくいかない。だからこそ、よいのだという世界観
マニーとマイクたちが起こした革命は、彼らの意図とは違った形で終わる。失敗とは言えないが、成功とは程遠い結末である。
革命はこういうものであると思うし、元軍人であったハインラインにとってのリアリティは、決して間違っていないとも思う。暴力による革命は結果としてパワーゲームに帰着するからだ。
しかし、市民革命の本質はここではない。ハインラインはそう言いたかったのではと感じている。
現状を規定している「構造」に楔を打つ。
それが市民の革命の役割であるという解釈である。その意味では、本作は、地球連邦政府が一体化し、月の世界から収奪をしていた構造に楔を打った点は、大きな成果としてよいのだとハインラインは言っているように感じる。
収奪という点で、一枚岩だった地球連邦政府の足並みが乱れ、月の独立を承認する勢力が出たことは、市民革命としては、ハッピーエンドだったのかもしれない。
やはり、本作の魅力は、このようなリアリティにあると感じる。
名作を正しく読み解いているとはとても思わないが、難読の先にあった私のこの程度の理解であっても、読む価値がある作品であることは間違いないと思った次第である。