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♪だめだね だめよ だめなのよ〜♪


画像加工です。
眺めておいてください。

かつて、やしきたかじんさんが
よくうごうごしていた場所です。

こちらの歌の歌詞は、
「やっぱ好きやねん」ではありません。
それっぽいですが、ちがいます。

歩いていて思いました。

神室町に似ていてキラキラしているなあと思ったのですが、誰も。誰一人として。(いや当然かもしれませんが、)殴り合いのケンカはしておりませんでした。そうです。ここにひとり、ゲームの世界観が現実に影響しているやつがおります。

♪だめだね だめよ だめなのよ〜♪
♪あんたが 好きで 好きすぎて♪

とてつもなく、どうでもいいことを言うと。
「ばかみたい」の歌詞を読んでいてふと思ったことなのですが。歌詞がなかなかすっと自分の中に入ってこないので何故だろうと歌詞を見て不思議に思いました。



ここからは、込み入ったお話なので
「ばかみたい」の歌詞をご存知の方はおたのしみください。(^o^) ご存知でない方は(ま〜たぼやいてやんよ)と呆れておいてください。(^^)


又、些か ややこしいので
「」は、実際の歌詞での表現。
『』は、一般的に遣われる表現とします。

そしてわたくしは普段、活字表現において。「言葉」という文字に対して、『使う』と『遣う』を使い分けておりますが、ややこしいと思われる方は、脳内で全て『つかう』と変換してくださいね。(^_^)v
それではスタート。(*^▽^*)



とてつもなく、それは それは
もうとてつもなく。
どうでもいいことです。

「ばかみたい」の歌詞を読んでいてふと思ったことなのですが。自分には、音がむずかしく聴こえるなあと。カラオケでは自分から歌いにくい歌だなあと。歌詞がなかなか自分の中にすっと入ってこないので(何故だろう)と。歌詞を見て不思議に思いました。

 歌詞の中で、「ほんま」と遣っておきながら
「だめだね だめよ だめなのよ」とありますが、『ほんま(本真)』と言う表現を使う人は、
『だめ』特に『だめなのよ』とは遣わないのではないかと。その後すぐに歌詞の中で、「あんた」と出てきて。(おや)と思いました。(※しかもよくみると、全歌詞において、「ほんま」と「本当」2種類使い分けておりました。)


《一部、載せておきます。》

馬鹿みたい 子供なのね
夢を追って 傷ついて
嘘が下手なくせに 笑えない笑顔みせた

I love youも ろくに言わない
口下手でほんまに不器用
なのになのにどうして サヨナラは言えたの

だめだね だめよ だめなのよ
あんたが 好きで好きすぎて
どれだけ強いお酒でも
歪まない思い出が 馬鹿みたい

「ばかみたい」
作詞: 堀井亮佑氏
作曲: 福山光晴氏


『だめ/だめなのよ』と使う人が、二人称を表す言葉に「あんた」⋯『あなた』ではないのかなあと。


だけど、もしやドリカムの大阪LOVERのようにパートナーの言葉が写ってしまって、こうなっているのかなあとか。

それに、「馬鹿」と言う表現と
「バカ」と言う表現のふたつがあります。

前者は愚か者っぽい感じがして、後者はそんな自分(もしくはお相手)をどこか憎めない可愛らしいと思ってしまっている所に惚れるが因果というか、『あいらしいなあ』『かわいらしいなあ』の意味を含めた「バカ」なのかなあと。

おっと。まて。この歌詞なかなか難易度高いぞと。


「強い女のふり 切なさの夜風浴びる」
に関しては、(朝に、考えろ考えましょうね。)とも思いますし。
(おい(-_-;))
朝日を浴びながら考えろ考えましょうね。と思いますし。
(おやめなさい。あなたの中の人生幸朗が発動するからおやめなさいっ(;´Д`))



夜に強い女のふりをしていても、誰も見とらんわ。夜はだいたいの人が寝ております。そんな最中、働いてくれている方もいらっしゃいますが、夜働いてるんやったら夜風浴びてんと早よ仕事に戻れ
ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ と。思ったり。


訳【そもそも。夜に、強い女性のふりをしていても。だぁ〜れも、(誰も)見ておりませんよ。なぜかって? 夜はだいたいの人が寝ております!
 そんな最中、働いてくださっている方も、勿論、世の中にはいらっしゃいますが。もしもあなたのご職業が、漁師さんではない限り。夜、働いているのであれば、夜風を浴びていないで早い目にお仕事に戻りましょうね。ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ と。思ったり、思わなかったり。】

あと、歌詞の中で「一人」という表現を『ひとり』としていないところに、まだ未練があるのねと思いました。

《数字》の『一人』ではなく、
《孤》としての『ひとり』と
“あえて”していない感じがして。

別に、別々の道を歩むことになったのであれば、『ひとり』でもいいのに『一人』と数字だけを言っている辺りが、余計に《孤》を強調している気もしなくもないです。(どっちよ。どっちなのさ。)

(※この子は、感覚で言っております。日本語のニュアンスは、時代と共に変わります。同じ日本語の受信機と発信機を持っていてもバリサンと5Gでは大いにちがいます。
どちらがいいとか、正しいとかではなく、
「日本語の乱れ」という表現がありますが常に日本語は整っておりません。平安の頃から、常に。ひらがなを使い始めたその日から、ずっっと ゆやゆよんな状態です。
(⋯はい?さいご、なに。なんて?( ̄σ・ ̄)
ごまかせていると思ってる?))





又、気付いたことと言いますか、
思ったことと言いますか。

歌詞の中で、
「どうして」『なんで』とは遣われておりません。
「ロクな男やない」実際の歌詞表現『〜やない』とありますが。『だめなのよ』と遣う人が、言いそうな言葉の語尾『〜ではない/〜じゃない』としていないなあと。思いました。

「歪まない思い出が 馬鹿みたい」
 ⋯3年も経てば、だいたいの思い出が良くもわるくも歪んできますよ。思い出補正のフィルターがかかって原型はどこへ。┐⁠(⁠ ⁠˘⁠_⁠˘⁠)⁠┌


「一人になって 3年が過ぎ 街並みさえも変わりました」
 と
「揃いの指輪 はずします」
 の部分だけが、急に【ですます調】でそれも違和感というか不思議に感じました。おまけに「揃いの指輪はずす」を、『外す』ではなく『はずす』としていることから。『はずす。はずす』と言いながら、結局、外さない。外せない。そんな自分が、次の歌詞「だめだね」に繫がるのかなあと。


 それと、
「だめだね」を

『駄目だね』にも『駄目やね/だめやね』にもしていないのも、先述と同じ、

『馬鹿』と『ばか』の使い分けなのかなあと。



勝手に思いました(^^)

そして絶対に『ばか』を表す別表現として、『あほ/アホ/阿呆』を遣わないのは、それを遣うとそれこそまさしく (やしき)たかじんさん臭がするからなのかなあと。勝手に思いました(^^)


あと、あと。
(まだつづくの!?)

80年代風の歌詞にしているけれど、確かに70〜80年代の歌詞は『私たちの人生幸朗』が発動するけれども。(※訳:ツッコミどころが満載と言っております。)

実際に70〜80年代に作られた歌詞には、内容には違和感がありますが、こうも違和感はないので。

こちらの「ばかみたい」の歌詞はあえて。あえて『80年代風』にしているのかなあと。
勝手になんとなく思いましたとさ(^^)


おわり(^o^)



またあそぼうねえ〜♪ヽ(*´∀`)ノ

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