あさをつなぐひと~⑤
(前回の文末を少し記載)
ジャスミンにはアラジンがいたけれど、
私達は自らでだれに問い掛けられずとも、勇気を出して外に出なくてはならなくなりました。
例え、魔法の絨毯がなくてもです。
ビクトル・ユゴーという人の『レ・ミゼラブル』という音楽劇(ミュージカル)の中で、民衆の歌という歌があります。どんな作品かはさておいて、
「闘え、それが自由への道」
というております。闘って血ぃ流さないと、自由がなかったという訳です。女(おなご)の私が戦にも行かず、好いてる人の背中に向かって
「戦にいってらっしゃい」
と手を振らんでもええ世の中になっているのは。それは、先人達が血まなこになって手に入れてくれたからです。デコボコやった道をアスファルトみたいに綺麗に舗装してくれて、歩きやすい(=生きやすい)道をつくってくれたからです。
しかし。
ここはもっとしゅっとした言い方を致しましょう。日本が先進国になった今、プラネタリウムのようにある(天体の数と同じ位ある)自由と選択肢に。なんやもう、目ぇ周ってしゃあないわと思う者と、目ぇチカチカして、げぇ出そうでしゃあないわという者が急増しております。(お食事中ならごめんなさい。)
全然しゅっとした言い方出来てない。要するに、あささんの時代には夜になると星がいーっぱい観えてると思います。その星のいーっぱいの数だけ、一人あたりの選択肢が増えたという事です。とても素晴らしい事ですが、とってもとっても贅沢ですが、それはそれで、割りと悩みのたねでもあります。余所さんの国では、選ぶ道すらない所の方がまだまだようけあるのは分かっているのですが。
これはやがてサウジの女性(おなご)も悩む事やと思います。結婚・出産・就職・進学、あささんの娘・千代ちゃんが進路という言葉につかれてしまったように、歩きやすい道をどんな風に歩こうかなと、皆思うのです。
例えば。今回、私は旅に出ました。
大阪から東京まで何で行くか。
飛行機か、新幹線か、バスか。
ここで選択肢が三つです。
さらに飛行機と選んでも、羽田で降りるか、成田で降りるか。羽田からホテルまで何で行くか。
選択肢を決めていけばいく程、内容は、だんだんと細かくなっていきます。端から見たらどっちゃでもええことでもです。そうして人は時間と精神を浪費します。もうこんなに色々決めなあかんなら、東京行くのやめようかなと思ってしまうという事です。
つづく
※この感想文は2018年に書いたものです。
それではまたのちほど(* ̄∇ ̄)ノ