最前線のふたり。
とても不思議な縁を感じた。だからここに認めておきたい。
ある一本の映画を観た。その映画に癒された私は、あるソーシャルメディアで発信をした。普通の。一般人の。観たよという発信だ。とても心地の良い映画だったので、日本語にするとこそばゆいのと、世界のお友達に日本にはこういう映画があるんだけれど、君の国にはどんな素敵な映画がある?…と、聞いてみた。答えは求めていない投げ掛けだった。
すると、すぐに「いいね」がついて、いつも見てくれるお友達に交じって知らない人がいて、誰だろうと思ったら。その映画を撮影したカメラマンの人だった。何ということだ。こういう人は、いろんな所にアンテナを張っているのだなぁと。感心というか、すごいなぁなんて思っていたら。私の過去の別の投稿に「いいね」が付いた。驚いた。
こういうのは、映画を観てくれてありがとう的な感じのやつかなぁと思っていたら、本人ですら忘れているふざけた記事に (具体的には、上用饅頭を作って。おりに入れて、半紙がなかったので懐紙を貼って。ふざけて表紙に『まんじゅうこわい』と書いたもの。)…まさかそういうなんかすごそうな人が、ちゃんと見てくれているなんて思わないから あたしゃ、ちょっと恥ずかしくなった(*/□\*)(*/ω\*)ミナイデー
( …と、言いながら見せようとする…「お前本当は出たがりだろ!」と言われちゃいそう。え、誰に?だれだろう(*^^*) )
へんなところで。へんな人とつながるなぁなんて思っていたら。数日後。今度は、その映画のポスターを作った人から「いいね」がきた。すごい時代だなぁ。超他人事に感じる、どうもわたくし当事者です。繋がることが良いことなのか、わるいことなのか、よく分からない。
でも、なむか。不思議。
そのポスターを作られた方の文章の文字をみて、たくさんの計り知れない表現者としての「くるたのしい」があったのだろうなと思った。くるしい…だけど、たのしい。「くるたのしい」
多くの人の、くるたのしいのミルフィーユがバランスよく積み重なって。一つの映画、一つのポスターが出来た。そしてそれは、どこにでもある人生を送る普通の市民の私の元に届き、今、そのポスターは部屋に飾られている。
私はそういったことは、なかなかコメントをしないサイレントだ。だけど、なむか。言いたくなって。
『そのポスターは 今、私の部屋に飾られております。ありがとう、癒しです。表現の最前線にいる方に言葉が届くなんて。ちょっと不思議☺️』とお伝えした。
すると、翌日返事が来た。その内容は。ご想像におまかせするとしよう。
私のただの言葉一つで、くるたのしいの全てが報われる訳ではない。私たちの拍手の音で、その道のりをなかったことにできる訳ではない。だけど届いたよ。私のちょっとした小さな事が。誰かの何かのきっかけになるのかな。
ソーシャルメディアを真剣にやってみて思うのは、実人生と同じ数の人しか大事にできないということだ。私のちいさな小さな表現の森に。ささやかだけど、幸福をいっぱい包んだ最前線のふたりが立ち寄った。まるで旅人のようだ。私も。カメラマンの人も。ポスターを作った人も。
芭蕉も長明も旅するように。私たちはそれぞれにまた次の場所に行く。きっとその場所というのは、
活字コント【暮しの手帖のような手帖と、かっぱえびせんのような虫。】
~イタリア編~
ライター:山本嘉ジ子 (『暮らしにはさほどお役には立たないと思う手帖』にて編集者として活躍中。遠縁には、ナンデモカジロウこと映画監督の山本嘉次郎がいる。…らしい。)