あさをつなぐひと~補足情報をもっと詳しく~番外編
【映画ミュージカル・三人の女性主人公について】
※この項目は筆者の読書感想文【あさをつなぐひと】をご覧になられた方への、追加情報です。ご覧になられていない方は、先にそちらをご覧ください。マガジンにて「あさをつなぐひと」としてまとめております。
※①~⑩(感想文の全文)は公開しております。補足情報だけ200円です。(すみません。)
巻物レベルで長いです。
他に有意義なおもしろい記事がない場合のみ、目を通して見てください。
私は、あなたの大事な時間を奪いたくはない!
それでは参ります!
イライザ・ドゥーリトル
「マイ・フェア・レディ」の主人公。階級社会のあるイギリスにおいて、下層とされるコックニー語(労働者階級の訛りの強い言葉)を話す花売り娘。
ある時出会った言語学者(言葉のスペシャリスト)のヒギンズ教授に言葉をバカにされたと思った彼女は、(研究のためにメモをしていた。実際少しそんな気があった)
言葉を覚えれば、今よりいい暮らしが出来ると思い、金を出すから言葉を教えろという。教授からしてみれば低下層の、身なりも薄汚い小娘がなんだと思ったが、居合わせた友人のピッカリング大佐が面白がって、
「自分が金を出すから言葉の訓練をしてやってはどうだ。その代わり、(半年後にある大使館の)舞踏会で花売り娘とバレたらお前の負け。費用はお前持ち。」
と賭け事の材料にされる。
そんなこと、たまったものじゃないと怒るイライザ。しかし差し出されたチョコレート(アマンドショコラ)の魅力に負けてしまう。いい暮らしをしたい。
そして面白がったヒギンズも話に乗ってイライザに教育していくのだが…。
物語の最後、イライザとヒギンズは言い争いをする。私はそれを彼女が(どうしたいのか、なにになりたいのか、何でこんなに怒るのか)言葉や知識を修得したのに上手く言えなくて、もがいているようにみえた。
彼女が賢くなったのに、上品なレディになったのに、もがくのは、人を言いまかす知恵がついただけで精神は花売り娘の頃のまんまだからだと思う。
だから筆者の感想文では、
【イライザ・ドゥーリトルのように賢なったが為に目覚めた自我によって苛まれるおなごもおります。】
と記した。
〈蛇足〉
蛇足だが私は、マイ・フェア・レディという作品は、原作ともブロードウェイ版とも違う別の終わり方を自分の中で持っている。
【一部ネタバレあり、読み飛ばし可能】
原作ではヒギンズの元を離れ、働かない貴族(多分、没落貴族)のフレディと結婚し、店を持つが上手くいかずに不幸になる。対するブロードウェイ版はヒギンズと結婚してハッピーエンド。この結末に原作者が怒ったという経緯から、映画ではそこを曖昧にしている。
私が思うイライザの道は、まず言い争いをした後、戻ってくる。(ここで映画は終わり)
その後、ヒギンズと一緒になる。結婚するかどうかは分からないが、内縁でもなんでも一緒にいる。しかし元から違う二人だ。ヒギンズは今風に言えばかなり残念な"こじらせ男"だ。あれは誰が来てもうまくいかない。やがて二人は一緒にいることに疲れてくる。くっついたり離れたりしながら結局は別れる。
その時、求婚してくれたフレディは既にいなくて、(もしもあの時…)と少し思いながらも独り街にいる。偶然にも彼女が立ち尽くすその場所は、かつてフレディがイライザを想って立ち尽くした場所だ。("君のいる街で"歌唱シーン。因みにこの歌何年か前に、積水ハウスのCMソングで流れていた。CMディレクターセンス最高だと思った。)
そうとも知らないイライザは、ため息交じりに一呼吸してそのままロンドンの街を歩いていく。フレディも、ヒギンズも、ピッカリングもいない。何もない。ただあるのはヒギンズから教わった教養だけをもって生きていく。なんて終わり方。蛇足。
エル・ウッズ
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