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あさをつなぐひと~⑧
(前回の続きを一分掲載)
私の職場での口癖は、
「皆気分よく作業をして、余計な遠慮で作業を滞らせない」
というものです。
年が上とか下とか、男とか女(おとことかおんな)とか役職とか関係ない。あなたが指示をする事によって現場が円滑の動くのであれば、私は喜んで下僕となり、手となり脚となり、忠実な犬となりましょう。しかし割りと狂犬なもんで、ときどき間違えて主(あるじ)の手を噛み千切る事もあるけれど、そこはかわいい奴(やっちゃ)と思って、許してねなんて、上司に言うたりします。(とんでもねぇ奴なのです。)
そして自分より下の子には、その為に、今この瞬間何が必要か。例えきつい事を言われても、言われている事の本質を見抜く目を持ちなさい、なければここで養いなさいと言っております。(えっらそうに。どの口が言うてるねんと思ったら、この口でした。)
ちなみに関西人の中には、きつい事言うのを郷土のせいにしている輩もおります。そういう人の事を私は、
「“ほんまもんの”おもろない方の関西人」
やと思っております。(ここは内緒です。)
私の働く上での考え方はこの辺にしておいて、この
「皆で気分よく作業をして、余計な遠慮で作業を滞らせない」
という考え方は、社会でも置き換えられるのではないかと思うのです。
皆で気分よく『社会生活』をして
男(おとこ)とか女(おんな)、年齢、役割、貧富、
あらゆる立場と状況において
貧しいから、もういい齢だから、
女(おんな)だから、男(おとこ)だから、
あれはしない方がいいかな
あれは出来ないだろうなと
誰も何も言っていないのに、
余計な遠慮で『暮らし』を滞らせない
その為に何が必要か。
これまで職場単位で考えつづけていた事を、次は社会全体に置き換えて考えるときが来たのかもしれません。
私のこの考え方が。
誰に言われるでもなく、自然と出て来たこの考え方が。
あささんの※12 “婦人の頭脳の開拓”の結果であるとするなら、
今度は婦人の枠を越えて『個』の、
“頭脳と精神の『成熟』”の為に。
何か、ほんのちょっと出来たらええなと思うんです。せやけどそれは、一体なんやろかと思う今日この頃です。
つづく
補足情報
※12 婦人の頭脳の開拓:ノベライズ本 下巻P221、平さんとあさの会話より。ドラマのシーンになかったのではないかと思い、逆に記憶に残っていた。(もしかしたら見落としていただけかもしれない。)
それではまたのちほど(* ̄∇ ̄)ノ
※この感想文は2018年に書いたものです。