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懐かしさの一歩手前で..(There is a Song)
「駅」:竹内まりや(1987)
個人的に、好きな「歌」や「歌詞」にスポットを当てるシリーズ記事を書いてるんですが、初めて竹内まりやさんの曲について書きたいと思います。
取り上げるのは竹内まりやさんの「駅」です。
まりやさんの作品の中で、もっとも人気のある一曲と言っていいと思うのですが、意外といろんな解釈がある歌なんです。
自分的には、まりやさんの歌詞って、基本、分かりやすいものが多い印象なんですが、この歌については行間に語られてないことがあって、いろいろ想像できちゃうんですよね。
もちろん、解釈は人それぞれなんですが、私なりに感じてることを "note" していきます。
ちなみに記事タイトルは、1番のサビ始まりの歌詞 ♪ 懐かしさの一歩手前で~の部分なんですが、この後、♪ こみあげる 苦い思い出に~と続きます。
懐かしさの一歩手前で
こみあげる苦い思い出に
言葉がとても 見つからないわ
ふと、駅で元彼を見かけた女性…
2年ぶりの元彼に、自分が元気で暮らしていることを伝えようとするのですが、こみあげてきた苦い思い出に言葉が出なくなるのです。
そして、その後に伝えようとした内容に触れてるんですが、そこにはちょっとひっかかりを覚えます。
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さり気なく 告げたかったのに…
元気なことを伝えるのはいいとして、下線部の「あなたがいなくても」とわざわざ付けるのは(それが、心の声であっても)ちょっと棘のある表現だと思うんですよね。
そこで考えちゃうんです。
もしかすると、2年前の別れの原因は彼の方にあって、そのわだかまりに対するささやかな復讐として、"あなたがいなくても" ってことを伝えたかったのかもしれない… と
でもですね、本当にさり気ない復讐だったとするならば、なぜ、言えなくなっちゃったんでしょうね…
それから"つらい思い出" ではなく、こみあげてきた "苦い思い出" って、どういう意味なのでしょう…
歌詞では語られない部分なんですが、今回はその辺りを深掘りしていきたいと思うのです。
+ + + + + +
「駅」
作詞・作曲:竹内まりや/編曲:山下達郎
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竹内まりやさんの公式YouTubeに公開されているライブバージョンなんですが、しみじみいい歌ですよね~、ほんと…
このバージョンではエンディングの土岐英史さんのサックスがまた泣けるんですよね。
そんな名曲「駅」なんですが、いろんな方のブログを見ると、ほんと解釈が違ってたりして面白いんです。
特に話題になることが多いのは2番の歌詞のようです。
二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ
戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車輌に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう
今になって あなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも
この2番の歌詞について、私の考え方のスタンスというかポイントを示したいと思います。
◎「私だけを」か「私だけが」か?
まず、解釈が分かれるのは最後の太字部分 私だけ愛してたことも の部分ですが、"彼が私のことだけを愛してた" のか、それとも "私の方だけが愛していた" のか、どちらなのかってことです。
かなり解釈に違いが出ちゃう部分なんですが、この件については、すでに竹内まりやさん自身が語ってくれていて、"彼が私のことだけを愛してた" 方だということです。
と、するとですね、前段で触れた「二人の別れ方」については、彼の責任ばかりとは言えない感じに思えてくるんですよね…
◎不倫ソング?
これは不倫ソングでは、とする意見がけっこうあります。
2番の歌詞に ♪ それぞれに待つ人のもとへ って部分があるので、その事実は、付き合ってた頃から女性も知ってたことだとする意見です。
たしかに、この歌詞のタイミングで、 "それぞれに待つ人のもとへ" と知ってるのは不思議に思えます。
だけど、彼が不倫相手とするならば、その後の歌詞で、あの時、私だけを愛してたって言い切るのは、ちょっと二人の世界で完結しすぎ(酔いすぎ)だと感じちゃうんですよね。
言い切るからには、やっぱこの女性一人を愛してたんだと思いたいんです。
じゃあ、なんで "それぞれに待つ人のもとへ" って知ってるんだってことなんですが、多分、ここがポイントで、駅で見かけた瞬間に、女性は気づいちゃったんだと思うんです…
◎今の元彼は幸せじゃない?
これも、いろんな方が書いてました。
2番の歌詞中、二年の時が変えた "彼のまなざし" や、"うつむく横顔" に涙があふれそうになるという箇所があったり、ラスサビの歌詞には、人波に消えてゆく彼の "後ろ姿" を見て、♪ やけに哀しく心に残る~ってあるんで、元彼は今の生活に疲れてるのではないかという意見です。
実は、この部分でも私の意見は違っていて、むしろ今の元彼は「幸せ」なんだと思うんです。
歌詞の冒頭に、はやい足どりで急ぐ彼が描かれてるんですが、私の中では、その様子が、不幸せな生活に疲れた姿につながらないんです。
彼については、歌詞中に出てくる他の姿も端的で、心情面まで描いてる箇所は無いと思うんですよね。
例えば、電車の乗客が "うつむいてる姿" はそれなりに普通の光景だし、疲れたように "うつむく横顔" と描写されてるわけではないのです。
むしろ、一向に顔を上げてくれず、自分に気づきもしてくれないから涙があふれそうになってると思うのです。
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また、ラスサビの場面も、哀しそうな "後ろ姿" と描かれてるわけではないので、結局、声もかけられず、自分に気づきもしないまま消えてゆく彼の姿が、女性の心に哀しさを残したという意味にも思えるのです。
そして、二年の時が変えた "彼のまなざし" については、不幸せな生活で "目つきが悪くなった" というよりも、まなざしの先に見てる世界が変わったということだと思うんですよね。
昔はこの女性だけに向けられていた "彼のまなざし" は、今は他の誰かに向けられていると、そう気づいてしまったと解釈する方が、私にとっては自然なのです。
以上のポイントを踏まえながら冒頭に戻ります。
まず、2年前の ”別れ” って、実は彼女が去っていったものではないかと思っています。
あの頃、彼が "本当に" 私を愛してたことが、今になって初めて分かったということなので、当時の彼の気持ちを理解してたとは言い難いですよね。
もしかすると、優しい彼は、この女性が求める情熱的で分かりやすい ”愛し方” ではなかったのかもしれない。
もしかすると、あまり感情を出さない彼の愛情にもの足りなさを感じていたのかもしれない。
もしかすると、保護者のように献身的にふるまう彼に反発していたのかもしれない。
きっと、そんな理由で、この女性は彼の元から去っていったのです。
そして2年後、駅で見かけた彼に声をかけようとするんです。
"あなたがいなくても" 元気で暮らしている...と
もし、彼がヒドいふり方をしたのであれば、ささやかな復讐として、そういう言葉を使うのも理解できるのですが、そうじゃなければ、普通なら「元気だった?」とか、「今、どうしてるの?」とか、相手のことを聞くと思うんですよね。
そう考えると、ちょっと上から目線というか、自己中心的な部分も感じるんです。
もしかすると、....この時までは、自分が去ったのも、そもそも彼に原因があるなんて思っていたのかもしれません。
でも、彼を見かけた時に女性は察するんです。
元気なのは自分だけでなく、彼の方も ”私がいなくても元気” だったということに...
そして、(自分はいなくても)彼は彼で普通に生きてる様子を見て、いかに自分自身が自分本位だったという事実に気がつくんです。
そうすると、別れの場面を含めて、彼との思い出の中で、当時の自分の言動たちが急に独りよがりで身勝手なものに感じられてきたんじゃないかと…
多分、こみあげてきた思い出の苦さというのは、そういうことなんだと思うんですよね。
自分が分かってなかっただけなのでは...
と、女性は一つ隣の車両にいる彼を見ながら、昔のことを振り返るのですが、考えれば考えるほど、彼は自分のことを愛してくれてたんだということに思い当たるのです。…痛いほど
そして、うつむいたまま、こちらに気づきもしない彼の ”まなざし” には、もう自分が映ってはないという事実を突き付けられ、涙があふれそうになってるのです。
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改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に
ありふれた夜が やって来る
さて、最後の場面…
駅から駅への間に彼女に起きた、この哀しい混乱は、駅を出た後に、少しずつ静まっていったのか、それとも、降っていた雨はやみかけていても、彼女の心の雨は降り続けているのか… どう思われますか?
多分、そこは聴く側に委ねられているので、最後の La-La-La-La に合わせて想像してみることをお薦めします。
多分、後奏の部分はそういう時間だったりするんです。
だからこの歌は忘れがたい余韻を残すのです。
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+ + + + + +
私なりなので、部分的には複数の解釈があると思っていても、トータルで聴くと、こういうストーリーに思えたのです。
なんか、まりやさんの意図以上に想像しちゃってるような気もして、かなり熱く語ってしまいましたが、以前から記事にしたい曲だったということで、ご理解ください✋
これまで音源がないために見送ってきてたんですが、最近、竹内まりやさんの公式YouTubeが開設されたおかげで実現した記事なのです。
そのうち、また、記事にしたいと思っている歌がUPされるといいなって思っています。
もうひとつの「駅」
さて、「駅」はもともと中森明菜さんのアルバムに提供された曲なんですが、そのアレンジや解釈に対して、不満に思った山下達郎さんが竹内まりやさんのセルフカヴァー版を制作したという話があります。
一方で、中森明菜さん側にも、竹内まりやさんから提供されたデモテープの完成度があまりにも高すぎるが故に、まりやさん(達郎さん)とは違ったアプローチで制作したって話もあります。
多分、この竹内まりやさんの「駅」って、そういう経緯があったからこそ生まれた名曲だと思うんですよね。
歌の解釈は様々で、作り手側も聴き手側も、それぞれの表現や解釈があるから面白いのです。
最後に中森明菜さんのバージョンも貼っておくので、その解釈の方も感じていただければと思います。
=中森明菜版=
♪