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電車の中で泣いた
先日、年甲斐も無く電車の中で泣いた。
と言ってもまぁ号泣と言うほどでも無く、汗をハンカチで拭いてます的な感じで誤魔化せる程度だったけど(笑)
ちなみに涙が出たのは、↑この本を読んでいた時のこと。
去年からアドラー関連の本を何冊か読んでいて、たぶん7冊目か8冊目。最初に「嫌われる勇気」を読んでパラダイムシフトが起きてからの数冊なので、ある程度基本は理解してる事は多いけど、頭から心への落とし込みはまだまだ真っ盛りって感じ。
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今回の涙は、また一つ頭では分かっていた事が、心に落とし込みができた事で流れたように思う。
物語の主人公が、どんどん成績を上げていく同僚に劣等感を感じ、自分はなんてダメなやつなんだと落ち込んでいる時に、上司のドラさんが揺るぎない主人公の存在価値について熱く語るシーン。
まさか涙が出るとは思ってもみなかったが、読みながら自然と自分を照らし合わせているのを感じていた。
これまでのnoteの記事でも何度か書いているけど、わたしはネガティブ思考だ。それ自体は悪いとは思っていない。ただ、ちょっと度が過ぎているのか成人した位から「自分には価値がない」と言う感覚がずっとあった。
そう思うようになったのはいくつか原因があるように思うが、その中のひとつに成人式の時に母親に言われた一言がある。
物心ついた頃から小児喘息で月に何回かのペースで高熱を出し自家中毒を起こしていた。年齢が上がるにつれ喘息は治って行ったが、その後も体力が無くしょっちゅう体調を崩していた。
そんな事もあり成人式に母親から言われたのは「あんた二十歳まで生きれると思ってなかったわ」と言うことば。
今思うと、そんな病弱だったのによく成人してくれたと言う意図だったんじゃないかと思うが、当時は「そんなに迷惑かけていたんだ…」と思い、とてもショックだったのを覚えている。
そこから何かあるたびに「自分には価値がない」と言う事を盾にして、色々な事から逃げて来た。
それでも人に恵まれて、仕事に就き、結婚し3人の子を授かり、今の会社に勤めている。仕事内容も人事に変わり、自分を見つめ直す機会が増え、マインド面に関しても少しづつ成長できている実感を得れるようになった。それでもなぜか心の底に張り付いた「自分には価値がない」と言う感覚を剥がせずにいた。
信頼できる仲間には自分のことを率直に話す方なので、「自分には価値がない」と思ってる事もよく伝えていた。
そんな折、上記の一節を読んでいる時にふと思った。
「自分には価値がない」とよく思うけど、それってその度に自分に「おまえって価値がないよな」って言ってるのと同じなのでは?
…と。
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「自分には価値がない」と言うのは客観的に自分の感覚を見て言葉にしているだけだと思っていた。でも、捉え方を変えるとそれは「自分には価値がない」と言っているのと同義だ。
そう考えると、なんて自分に悪いことをしていたんだ、申し訳ない事をしていたんだと思い、涙が込み上げて来た。ごめんね、わたし。
それからは「自分には価値がない」なんて言わないし、思わないように心掛けている。でもやっぱり何かふとしたきっかけで「自分には価値がない」と思ってしまう事がある。長年の思考の癖が抜けるにはもう少し時間が必要なんだろう。
それでも今は、心の底に張り付いたその感覚が少しずつ浮き上がって剥がれつつあるのを感じている。