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small style|いろんな経験がわたしを肝っ玉母ちゃんにしてくれた。オーガニックで野菜を作って20年、たくましく生きてます


小林 めぐみさん
群馬県前橋市出身。滋賀県の近江八幡市在住。小さいころから動物が好きで、大学で畜産を学ぶ。大学で出会った夫と結婚し、滋賀へ。就職や主婦、夫の実家である畜産を手伝いながら30代前半までを過ごす。3番目の子供が生まれたときに、祖父が立ち上げた地元の直売所向けに無農薬の野菜を栽培し始めて20年が立つ。今は孫を育てながら、直売所の運営や、畑と向き合っている肝っ玉母ちゃん。
小林ファームFBページ


今の暮らし

毎朝5時に起きて、家のすぐ近くにある畑にそのまま向かいます。娘の子どもの面倒を見ているので、7時くらいまで収穫など作業をして、孫のご飯や支度をして、保育園に送り届けます。その後は一日畑作業をして、夕方にまた孫を迎えに行きます。ご飯出しをして、孫をお風呂に入れて寝かしつけまで全部します。娘がダンサーなのだけど、好きな事をやり切ってほしいという思いで、孫をみてあげるから頑張りなさいと言って、母親の代わりをしています。

休みって概念はなくて、週7日、ずっと畑で仕事をしています。週に1回はゆるりとした日も確保しています。普通の会社員だったら絶対続かないけど、好きなことだからできるんだと思います。夫も、畑の草刈りなどの圃場整備は手伝ってくれるし、娘もご飯だしを手伝ってくれたりと、家族の協力もあってなんとか頑張っています。

孫と夫とスイカ収穫

動物がすごく好きだった

幼少期は普通のサラリーマン家庭で育ちました。街中ではあるけれど、近くに牧場があったり、友達に蚕農家が多くて桑畑が通学路でした。お母さんたちが農作業している姿はずっと横目にいいなーと思いながら見ていましたね。家に犬や猫、ニワトリを飼っていて、動物が大好きな子でした。

後に無農薬野菜を作るきっかけになったのが、小学校5年生の時に母親の本棚に合った「複合汚染」というノンフィクションの小説を読んだことです。多感な時期だから、食品添加物や農薬の話、環境汚染のショックな現実をすごく吸収してしまって…。ちょうど住んでいた近くの利根川も、都市開発のためにどんどんコンクリートで埋め立てられるのも見ていて、子どもながらに危機感を感じたのが始まりで、そこから環境を意識するようになりました。

中学生の頃、動物の雑誌をいつも読んでいたのですが、そこに載っている上野動物園の初の女性園長、しかも獣医である”増井光子さん”に凄く憧れました。進路を決めるときにも、時に何も武器がなかったので、大学に行った方が道が開けるかもしれないと思って、憧れていた増井さんの出身校でもある麻布大学の環境畜産学科に入ろうと思ったんです。でも、勉強が本当に得意じゃなかったので、できないなりに本当に頑張って勉強しました。

大学では動物行動学を専門に勉強していて、家畜が生きている間はストレスなく健康的に飼育する畜産を目指す”アニマルウェルフェア”を学びました。そこで、実家が畜産をやっている夫と出会うのですが、当時は「わたしがすごく頑張って勉強して入学したのに、全然勉強しないで入ってきたやつがいるな」という印象でした(笑)

ニンジンの花たち

野菜作りのきっかけをくれた義父

結婚して夫の実家がある滋賀にきて、就職したけどすぐに妊娠して。そこからしばらくは主婦生活をしました。家庭菜園でトマトを作ったり、パンを焼いたり、羊の糸をつむいて娘の帽子や手袋を編んだりとのんびりした生活でした。2番目の子供が生まれてからやっと本格的に畜産にかかわることになります。

その頃、畜産をやっていた義父が、大中町に仲間と直売所を立ち上げるんです。その際に「野菜を作って販売してくれないか?」と声をかけてくれました。ちょうどその時3番目がお腹にいることが発覚した時で、まだ伝えてなかったんです。え~、どうしようと思ったけど、やっぱり頼りにしてもらえたのが嬉しくて。義父も手伝ってくれるというので、出産したらすぐ野菜作りを始めました。

何もせずとも売れるイケイケの時期もあれば、苦戦した時もありました。生きているといろいろありますね、ほんとうに様々な経験を経て、あれから20年くらい、いろんな人に助けられながらずっと野菜を作っています。

みんな向き不向きがあるから、各々が自分の手でできることをやる。そして自分たちが食べられる分とプラスアルファくらいの食べ物をそれぞれが作って、物々交換できる世界があったらいいなって思います。そしたら環境は絶対よくなると思う。


大切にしていること

「肝っ玉母ちゃんでいる」
もともとはこんなにたくましくなかったの。でも、農業に携わっている中で、台風でハウスが全壊したり、一家を揺るがす大事件とかをみんなで乗り越えてから、夫婦の絆も強くなったし、人間の本質も垣間見たし、たくさんの人が助けてくれたんです。普通の会社員ではできない体験をたくさんしてからこそ、「なんとかなるだろう」と、どんどん肝が据わってきました。もともと肝っ玉母ちゃんに憧れていたから、そういわれるのが一番の誉め言葉。最近周りにそう言われるようになって嬉しいです。

「決めつけや思い込まない、自分と異なる意見は聞く」
これは、自分がすぐにそうなりやすいので気を付けてます。だからこそ、若い人と一緒に仕事でかかわる中で、いろいろ学べているのかなと思います。

「罪悪感を持つことはやらない」
別にたいそうなことばかりではなくて、何か迷ったときに、心に聞いて、それをやったときに最終どう思うかなと考える。そして自分はしたくないと思うんだったらやめようと。人って生きてるだけで迷惑をかける生き物だから、そこにびくびくすることはなくて、自分が違うと思うことはやらずに減らしていければいいのかなと思っています。

お気に入り

農協の鎌
農協の特選下刈り鎌。これもなかなかいいので、かかせない。
三浦大知
ポンキッキーズのころからのファンで、自称滋賀の宣伝部長。 アルバム「球体」が一番好きで、ライブも行くし、もはや母のような気持ちで応援しています。

このシリーズでは、みんなの"small"なライフスタイルを紹介していきます


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