【architecture】表参道ヒルズ①|安藤忠雄
1923年9月1日11時58分32秒
関東大震災がおこった
死者行方不明者10万5000人の大惨事であった
9月1日はこの大惨事を忘れないために今もって『防災の日』とされ、災害に備えることを再確認する日とされている
当時木造住宅が主流であった東京において関東大震災以降地震や火に強い鉄筋コンクリート造の建築が求められた
そこで発足したのが『同潤会』である
安全安心な住宅の供給を目標に東京・横浜を中心に鉄筋コンクリート造の集合住宅をつくった
『同潤会』による集合住宅は単に鉄筋コンクリート造であるだけでなく、住まい手同士の相互扶助を考えた共用のスペースや共に住まうことを考え抜かれた先進的なものであった
それゆえ歴史的にも優れた建築として評価され、人々に長年愛されたものが多い
しかし、同潤会アパートは老朽化により現存するオリジナルのものはなくなってしまった
唯一かつて表参道にあった同潤会青山アパートのレプリカがその跡地に建てられた『表参道ヒルズ』に残されている
若い方は知らないかもしれないが、1977年から1998年の20年間、原宿駅から青山通りまでの表参道は休日には車両侵入禁止にして、歩行者天国になっていた
いわゆる『ホコテン』というやつで、タケノコ族や一世風靡などの流行が生まれた
哀川翔や柳葉敏郎もここで舞っていたのだ
私も幼い頃父親に連れて行ってもらった記憶がある
その表参道の風景を1926年から2003年まで見届けてきたのが『同潤会青山アパート』である
4分の3世紀に渡り街を見届けてきた同潤会青山アパートは表参道の街の風景をつくってきた大切な建築だった
しかし、戦争をも乗り越えてきたこの建築は街の顔として役割をしっかり果たしながらもその体内はボロボロだった
設備や躯体の老朽化が著しく、居住環境としても都市の建築としても安全性を確保するのは困難な状況であった
1960年代から度々建て替えの計画がのぼるものの経済的な理由や地権者の同意が得られず頓挫していた
建築の歴史家などは闇雲にこの建築の歴史性を説き保存を訴える
しかし建築はそんな声とは裏腹に悲鳴をあげて痛みに耐えていた
地権者、歴史家、政治家、世論…
同潤会青山アパートに対する様々な思惑の板挟みの中で白羽の矢が立ったのか、建築家の安藤忠雄氏である
大変な仕事になる事は必至であった
1994年に正式に建て替えプロジェクトに選任されてから2006年に『表参道ヒルズ』が完成するまでの道のりは険しいものだった
建築家安藤忠雄の闘いがはじまった
(つづく)
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