【architecture】住吉の長屋①|安藤忠雄
建築家安藤忠雄氏の名目的なデビュー作が『住吉の長屋』である
1976年に完成したこの『住吉の長屋』を武器にこれまで世界中で闘ってきたと言っても過言ではない
安藤忠雄氏の建築の精神は、先日取り上げた『表参道ヒルズ』もすべて、遡れば『住吉の長屋』に繋がっている
『住吉の長屋』はその名の通り、大阪の住吉大社のすぐ近くに位置する
私は今から18年前の学生時代に『住吉』という地名だけを頼りに探し回り実際に目にした
憧れの建築家の原点とも言える建築を目の前にして、鳥肌が立つ感覚がしたことを今でも記憶している
住宅地のど真ん中にありながら異彩を放つ、コンクリートの塊が静けさの中に置かれていた
個人邸なので中は見る事ができない
しかしその事が逆に内部を想像させる
もちろん建築の図面は頭に入っている
『住吉の長屋』は、大学や専門学校の製図や模型の最初の授業で扱われる建築の十八番でもある
つくりが単純な上に箱形でもあるため初めての模型練習にはうってつけなのである
ゆえに多くの学生は『住吉の長屋』を通って建築の世界に足を踏み入れるわけであるが、この建築を真似ようなんて建築家はいない
また完成から3年後の1979年には、『住吉の長屋』が日本建築学界賞を受賞することで安藤忠雄の名前は日本中で知られることになるが、決してお手本のような建築ではないとされている
それは、『住吉の長屋』には建築における決定的な要素が取り払われているからである
『住吉の長屋』は間口2間、奥行き8間という、いわゆる”うなぎの寝床”と呼ばれる建築だ
間口が狭く、奥行きが長い敷地に建つ住宅を、日本では”うなぎの寝床”と呼ぶ
間口の狭い住宅が古い街並みに多いのには、かつて建物の間口の寸法によって納める税金の額が決められたという話がある
ちなみに私も岡山県の山奥の町の生まれであるが、生家は間口2間の”うなぎの寝床”である
住んでみれば分かるが住環境は良くない
風は抜けないし、日差しは中まで入り込まないので日中でもかなり暗い
それゆえ、冬は火が当たらず外よりも中の方が寒く、夏は風が抜けないので暑くて寝れたもんじゃない
そんな”うなぎの寝床”の住環境を改善するべく昔からつくられてきたのが、通り土間や奥庭である
敷地の奥に設けられた庭と通り土間によって採光と通風を確保するのだ
私の生家も通り土間と奥庭があるが増築により土間は奥まで繋がっておらず風が抜けることはない
しかし奥庭からかろうじて入る光は細やかな明かりを与えてくれる
『住吉の長屋』はその名の通り”長屋”であるが、元々は両隣と柱や壁、梁を共有する木造の三軒長屋であった
建て替えるには、三軒がくっついた梁を切り落とさなければならない
私の生まれた町でも今でも見かけるが、金太郎飴の如く壁をスパッと切ってしまったような名残を見かける事がある
三軒連なった長屋の真ん中をなくすことで残った両隣の家は構造的に不安定になることもある
工事的にもかなり危険であることは、はじめから予測された
今では両隣とも建て替わっているが、当時は倒壊するのではないかと相当不安だったようだ
結果的に倒壊はしなかったが、若干傾いたという話を聞いた事がある
このように、敷地としては考え得る限り決して良くはない条件と本当に限られた予算のもと生まれたのが『住吉の長屋』なのである
当時まだ実績のない若かりし建築家に、敷地条件も良く、予算もふんだんにある仕事が回ってくるはずもなかった
しかし仕事に飢えていた建築家はこの小さな住宅にありったけの『情熱』と『怒り』を込めて設計をした
明日は『住吉の長屋』に込められた建築家の『情熱』と『怒り』について触れていこうと思う
(つづく)