「ごちそうさまでした。美味しかったです」
昨日の朝日新聞に、
ロイヤルホストの社長さんの記事があり
同店では配膳ロボットは使わない
という趣旨でした。
注文を取ったり配膳したりは、
やはり人が成すべきものだと。
先月、午前中で人間ドックを終えた僕は
少し早いランチへと、
クリニック近くのファミレスへ。
1番奥の席に着くと
テーブルには小型タブレットが
備え付けられています。
周りを見ると全席にも。
今やファミレスなら常識ですね。
僕はそこから
ハンバーグとエビフライのセットを注文。
暫くするとガシャガシャガシャと
大きな音を立ててロボットが現れ、
注文した料理を運んでくれました。
どこか健気な感じがあり、
どこか人間に働かされている感もあり、
ありがたいと思いつつ、
申し訳ない とも感じました。
勢いよく料理を平らげると僕は
この満足感を直接伝えたくなりました。
閑散とした店内、
店員さんは奥にいる気配。
いちいち呼び出しボタンを押すのも
憚られました。
仕方なく僕は帰り支度をしてレジへ。
するとそこはキャッシュレスコーナー。
店員さんを呼ばない前提のシステム、
自分で画面を操作し、
クレカや電子マネーで支払う仕組み。
僕は従順に決済の手続を済ませ、
出口に向かおうしたときでした。
「ごちそうさまでした。」
を言っていないことに気付き、
振り返るとやはりそこには誰もいません。
少し寂しくなりました。
「いやいや、店員さんがいないほうが
自由な感じだし、
気兼ねなく落ち着ける」という方も、
いらっしゃるでしょう。
お店側でもコスト(人件費)削減、
業務効率化を進め
その分手頃な価格で料理を提供出来ると。
僕などの「ごちそうさま」の言葉は
特に必要ないのかもしれません。
でもどこか寂しい。
空虚なこの感じはなんだろう。
僕にとって近所ではないこの地域の
このお店は、きっと
年に一度の人間ドック帰りしか
立ち寄らないかもしれません。
それだけの関係です。
馴染みのお店、行きつけ
という関係には必然として
ならないでしょう。
でも寂しい。わがままでしょうか。
美味しく頂いたことへの感謝、
「ごちそうさまでした。
美味しかったです。」
このひとことが空を切り、
宙に浮いたまま、
僕はお店をあとにしました。
「本当に美味しかったですよ。
また来年の盛夏に来ますね」と
ぽつりと呟きました。
当然にこの声も宙に浮いたまま。
この心、感謝は誰にも届かず。
テーブルにアンケート用紙があれば
そこに書けば良いのでしょうが
それとて人を介していません。
僕の感謝の押し売りは不要かも、ですね。
時代の変化、デジタル化は
人の気配を消したまま、
少し寂しい風情で
世の中を覆っていきます。
料理に200円ないし300円足しても良いから
無機質でなく、雑駁としていない空間で
店員さんの笑顔と優しい雰囲気に包まれ、
食事がしたいなぁと。
「であればそういう店に行けば良い」
それは確かです。立地次第ですかね。
僕が満足を得たいのなら、
自分でもっと苦労せい!なのかもです。
今後の飲食店では、
給士を担うフロアスタッフの方々の、
プロフェッショナル人材としての
価値が高まると僕は思います。
ロボット化やデジタル化の時代
だからこそです。
人としての接客力の魅力が引き立つ、
かえって浮き彫りになると
思えてならないのですよ。
AI時代が進展するほどに
人の手仕事、ヒューマン・タッチの
大切さ、魅力が求められると思います。
30年近く前のTVドラマ、
三谷幸喜さん脚本の「王様のレストラン」
では、松本幸四郎(現・松本白鸚)さん
演じる大ベテランのギャルソン(千石さん)が言います。
「レストランで食事を楽しむ
ということはその場の雰囲気も楽しむ
ということなのです。」
ロイヤルホストさんは、
長年レストランという業態を
大切に守られて
来た佇まいがあり
僕は好きです。
時代に流されない雰囲気、
おもてなしの心を大切にする
社長さんの姿勢を僕は
心から応援します。