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「朝比奈玉露」とは?

初めまして。
皆さん「朝比奈玉露」についてご存知ですか??
朝比奈玉露は、日本三大玉露産地の一つとして知られています。三代産地は京都の宇治、福岡の八女(やめ)、そして静岡の朝比奈です。

 この記事では、静岡県藤枝市岡部町朝比奈地区の「朝比奈玉露」について生産者の方々にインタビューをし、より多くの人に朝比奈玉露を知ってもらうことはもちろん、どのような想いで作られているのかを皆さんにお伝えします。実際に飲んだことはない、という方がぜひ飲むきっかけになることを願っています。こちらの連載は全10回を予定しています。最後まで読んでいただけると大変嬉しいです。

(著:嶺梨香子)


玉露とは

まず、日本茶をあまり知らない方向けに玉露について解説します。すでにご存知の方は、「朝比奈玉露とは」まで飛ばしていただいても構いません。

<玉露>
日本茶の一つであることは知られていると思いますが、実際に飲んだことのある方はそう多くはないのでしょうか。玉露は「玉の露」と書きますがその名の通り、甘露のような味わいをごく少量で楽しむものです。煎茶とは異なり、苦味成分であるカテキンが少なく甘味成分であるテアニンが多く含まれているからです。玉露ならではの、強い甘味と旨味を口の中でころがすように味わいます。

また、玉露は日本茶の最高ランクとも言われており価格も他の日本茶と比べて高価です。その理由は作り方にあります。
玉露は、収穫時期の20日前になるとよしずやわらなどを茶畑の上に被せます。つまり、玉露は覆下園(おおいしたえん)でつくられます。
※抹茶、被せ茶も同様。

茶畑に覆いを被せることで、日光の光を遮り甘味や旨味のある味わい、鮮やかな緑色、海苔のような覆い香(おおいが)が生まれるのです。

また、年に一度茶摘みの時期にしか収穫しない希少性も玉露ならではです。被せることで手間がかかることはもちろんですが、そのおかげで唯一無二の豊かな味わいへとつながります。

高級茶と聞くと手を出しにくいかもしれませんが、玉露の旨味や独特の味は飲まなければ分かりません。初めて飲む方は必ず驚く、美味しい日本茶の最高峰です。

朝比奈玉露の歴史

玉露について知っていただいたので、まず、朝比奈玉露の歴史について説明します。玉露自体は、1835年に山本嘉兵衛(現在の山本山の初代)が玉露を発明したのが始まりです。

それから明治に入り、20年ごろ(1890年ごろ)から朝比奈でも玉露がつくられ始めました。1200年という日本茶の長い歴史の中でも、朝比奈玉露の歴史は始まったばかりです。

朝比奈玉露の強みや特徴

それでは、朝比奈玉露の強みや特徴について深掘りしていきます。

朝比奈玉露は、全て手摘みで収穫されたものです。効率の面から機械摘みやはさみ刈りが一般的になってきていますが、朝比奈では生産者の方が誇りを持って手摘みにこだわっています。お茶の摘み方として一芯二葉で摘むことがよく知られていますが、それは玉露の場合品評会用だそう。基本的には「こぎ摘み」という新芽を全て摘み、芯のみ残す摘み方をします。

またもう一つの大きな特徴としては、収穫した後工場で生産者自ら茶葉を揉む作業までしていることです。一般的に茶農家さんは、全員が収穫した後の加工まで担当するわけではありません。しかし、朝比奈玉露は生産者全員が自分の工場を持ち、自分の茶葉を揉むところまで担当されます。また、一度に収穫する量も比較的少ないため少量で揉むことができます。そのため、茶葉の様子を見ながら細かく都度揉み方を調整することができるのも強みと言えます。

ちなみに、基本的には機械を使って揉んでいきますが、朝比奈(岡部)では手揉みをされる方もいます。手揉保存会という団体があり、6時間ほどかけて針のように細い玉露へと仕上げます。なお、玉露を手揉みするのは静岡県内で岡部町茶手揉保存会のみ!(※お茶の仕事に携わっていなくても手もみ保存会にはどなたでも入れます。)

静岡県茶手揉保存会が揉んで皇室に献上する新茶を手もみした記事が紹介されています。

朝比奈玉露の現状と課題

日本三大玉露産地と言われている朝比奈玉露ですが、大きく分けて二つの課題に直面しています。

①後継者問題、存続の危機

上記で朝比奈玉露の生産者は10名ほどだと書きましたが、平均年齢は70−80歳です。そして自分の子供に継がせるという人はほとんどいません。それは、ペットボトル茶など低価格のお茶の需要が増加したことにより、茶農家一本で仕事をしていくのは厳しくなったからです。

しかし、朝比奈玉露は全て手摘みで収穫されているため特に茶摘みの人手が不可欠です。摘子さんたちも高齢化しており、十分な人数で茶摘みを迎える事が難しくなってきていますが、そうなれば1年に一度の収穫の時期を迎えても摘むことができなくなるかも知れません。

日本三大玉露産地が消滅してしまうかも知れないこの現状をなんとか打開したいです。

②放棄茶畑

1980年ごろまでは、90軒中80軒は玉露を作っていたと言われるほどの玉露産地でした。しかし、現在では10軒ほどとなりました。それにより、かつて茶畑として使われていた土地がいくつも放置されているのです。このまま放置され続ければ、再び茶畑として利用するまでに時間もお金もかかります。そして、雑草や害虫被害が近くの茶畑に広がることもあります。

それにも関わらず人手不足により、放棄茶畑の問題に着手する余力がなく、放置され続けてしまっている現状があります。

白い部分は全て玉露が育てられていた

このような問題は、実はお茶に普段関係のない仕事をしている人たちも貢献できる事がいくつもあります。ぜひ、皆さんに朝比奈玉露のファンになると同時にこのような問題を解決するサポーターにもなっていただけたら嬉しいです。


次回以降の記事では、ライターである”嶺梨香子”自身の紹介や生産者の方々へのインタビューをお送りします。
お楽しみに…!!

*また、この度立ち上げた学生団体「あさひかり」でも今後情報発信をしていきます。そちらもぜひ見ていただけると幸いです。https://www.instagram.com/asahina_hikari_students?igsh=NTc4MTIwNjQ2YQ==