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じいちゃんの死体

2年ほど前の夏、弟の誕生日に祖父が死んだ。90歳の誕生日を迎えてからちょうど1週間後だった。

脳外科の病院でソーシャルワーカーをしていた僕の目から見て、かなりハッピーな死に方だったと思う。祖父は最期を病院、施設で過ごすのを断固拒否していたし、デイサービスに行くこともしなかった。自宅で過ごし、最期を迎えることを選んだ。

うんざりするぐらい祖父と相性の悪い、失礼な態度を取るケアマネージャーにも、決して自分の信念を曲げることがなかった。訪問サービスに来てくれたスタッフに対しても、気に入らないスタッフはそれなりの態度で接し、気に入ったスタッフにはこれでもかというくらい気さくに接するような、はっきりした人だった。

最後はじいちゃんらしく、自分の意志ですべてを決めて(葬式のプランさえも決めていた)、自分の思った通りに死んでいった。通帳の残高をきっちり把握しているほど頭ははっきりしていた。

死んだ当日は、いつも通り朝7時頃に起きた僕がシャワーを浴びて、職場に向かった。その間も、変わらず安らかな顔をしていた。祖父が起床するのはいつもヘルパーが来る9時頃だったので、僕は気にせずに出勤していた。

仕事中に電話が鳴る。「おじいちゃんの反応がない」と、少し震えた声でヘルパーが言う。胸騒ぎがする。上司に伝え、そのまま家に帰った。職場が自転車で10分ほどの距離だったが、帰り道はそこそこ冷静だった。最近調子も悪かったし、もし救急搬送するならかかりつけ医に連絡して、救急車を呼んで、と冷静に対処できるよう、頭の中でこれからのことを考えていた。

ふわふわと地に足つかないような感覚があった。ペダルを踏む足には余計な力が入っているわけではない。あくまで落ち着いた速度で自転車を漕いだ。その割に、胸の音が聞こえてくるような、道路を走る車の音が遠のいていくような。ぼんやりとした視界はこれが現実なのか、非現実なのか、境界線をひどく曖昧にしていた。

帰宅すると訪問看護の看護師さんも駆けつけていて、看護師さんの顔を見たときに、もう祖父が亡くなっていることを瞬時に悟った。


僕はそれまで身近な人の死を経験したことがなかった。脳神経外科で勤めていたから、当然人が死ぬこともあった。

くも膜下出血で救急搬送され、そのまま亡くなった人。長い入院生活の中で栄養を取らなくなって亡くなった人。死ぬための最期をこの病院でと自分で選び、そして亡くなった人。色々な手伝いをして、退院後に家族から亡くなったと聞かされたこともあった。

そのどれもが、差はあれど僕にとってはとても価値のある死だったようにお思う。

しかしながら、家族が死ぬのと、赤の他人が死ぬのとでは根本的に違うものだった。ましてや祖父は3歳のころから一緒に暮らしてきた、いわば父親代わりのような人だったから。

眠れない夜は、決まっていずれくる祖父との別れをイメージした時だった。その無意味な妄想に、まくらを濡らしたこともあった。


祖父はとてつもなく元気な老人で、近所でも顔の広い人だった。夏の暑い日は上半身裸にパッチのズボンを履き、いつ買ったのかもわからないぼろぼろの茶色いスリッパでご近所さんと井戸端会議をしていた。特に左隣に住むみっちゃんというおばあちゃんとひと際仲が良く、作り置きを渡しあったり、お互いの家の玄関先で、聞いているこちらが飽きるほどいろいろな話を毎日繰り返す仲だった(みっちゃんのおばちゃんが僕の母替わりのような存在でもあった)。みっちゃんが足を悪くして買い物に行けなくなってからは、祖父が自分の家の分とみっちゃんの家の分の買い物をした。

近所に、学園坂という地獄のように急で人生みたいに長い坂があるのだが、85歳になっても、その坂を立ち止まらずに自転車で登りきることができた(その坂を上りきるには、若さとそれなりの覚悟、もしくは電動の自転車が必須である)。

そんなパワフルな祖父だったにも関わらず、彼は胃がんになり、胃の三分の二を切除し、食事もほとんどとれなくなった。再発、転移して、最後の半年くらいで急速に衰え、老衰のような形で死んだ。かかりつけ医の死亡診断としては間質性肺炎だったが、ほとんど苦しまずに死んだように見えるとのことだった。

胃がんを切除した後、病院の執刀医にはもう一度学園坂を自転車で登れるようになりたいと言っていたのが記憶に残っている。凄まじい志の高さだった。しかし祖父はじわじわと自転車にも乗れなくなって、足が随分弱くなっていった。

ある日外のポストを見に行こうとして玄関で足を絡めて顔から転んだ。スーパーに並ぶ鏡餅の上の段の餅くらいの大きなこぶができた。内出血で顔が真っ青だった。仕事から帰った時、そんな痛々しい祖父の姿が目に飛び込んできたのだ。それでも祖父はにやにやと笑いながら、「こけてしもたわ」と言って、僕も釣られて笑った。

学園坂を自転車で上るようなタフな老人が衰えていく姿を見るのは特にこたえた。外を出ていくのにも車いすが必要になったし、家の中ではトイレに行くのにも足元がおぼついていた。やがてポータブルトイレが家に設置されて、介護用ベッドの横に図太く居座るようになった。それでもできる限り自分で歩いてトイレに行こうとしていた。僕は極力見守るようにしていた。別に、足を滑らせて死んでしまってもそれは仕方ないと思っていた。たぶん、祖父もそう思っていただろう。しかし何より、僕自身が祖父の弱っていく姿を認めたくなかったのかもしれない。


ともあれ祖父は死んだ。いつもの寝顔と同じ顔をして、朝9時に起きて訪問ヘルパーを迎え入れそうな様子のまま。

生前の祖父と二人で暮らしていた僕は、葬儀までの短い間、遺体と二人で生活することとなった。腐敗をおさえるために部屋が冷え切るまで冷房をかけ、祖父は見たこともない大きなドライアイスを脇に抱えさせられていた。

真夏にも関わらず、部屋はずっと寒かった。僕は時々、その部屋でなんとなく線香に火を灯し、その残り香をかすかに鼻の奥に残しながら眠った。不思議と涙を流すことはほとんどなかった。

昼下がりくらいだったか、僕がぼんやりと畳の上で横になって天井のしみを目で追っていると、玄関をどかどかと叩く音がした。内心、「勘弁してくれ」と思った。その音は徒競走のスターターピストルみたいに、無理やり僕の足を動かそうとしていた。

「すんません、すんません」

たった2秒ほどしか経っていないにも関わらず、その音の主は重ねるように、しつこくこの家の住人を呼び出そうとする。

玄関に目をやると、人影が見えた。「すんません」。すんません。

仕方なく立ち上がって玄関をあけると、中年の男が立っていた。割に小柄で、半袖のビジネスシャツに赤い、シンプルかつよれよれのネクタイをしている。ダボっとしたスラックスを履き、どこのメーカーのものかもわからない運動靴が気だるそうな顔をしていた。男は妙に馴れ馴れしい顔をしていた。まるで幼少期の頃の君を知っているんだよと言わんばかりに。

「ご主人さん、おるかな」はきはきとした声で、小脇に抱えたビニールを反対の脇に抱えなおした。

この質問には心底困った。数日前ならこの家の主人は間違いなく祖父であったが、彼はもうこの世にはいなかった。あるのは死亡診断も済んだ死体だけだ。お役所的に言うと、死亡届も出していないか、もしくは受理されていない。実質的にこの家で生活している人間はその時点で僕一人だけだった。

「僕です」僕は迷いながらそう答えた。この男は遺体があることを知らない。

「えらい若いですね」汗でてかった額をハンカチで拭いながら男は目を丸くした。「いや、失礼しました。こういうもんやねんけどな」首から下げた名札を見えるように持ち上げる。男は新聞販売店の営業のようだった。

「ひとつ、試しでどないでっしゃろ。他に取ってる新聞ありますの」何一つ言葉を発しない、真顔の僕に対しても問答無用で営業を続ける。

新聞自体に興味もなく、また、祖父が死ぬ直前くらいに別の新聞の契約を打ち切ったばかりだった。

「いや、ないですけど」できる限り冷たい態度で返答をする。

「そうでっかそうでっか。なら是非試しに。ほら、今ならこれも渡せます」そう言いながら男が渡してきたのはただのタオルだった。僕の冷ややかな態度は特段気にしない様子だった。

「よっしゃよっしゃ」そう呟きながら、男は無理やり僕の手になんの変哲も無いただのタオルを渡してきた。あまりにも早い展開だ。契約のお礼の品にしては粗末すぎたため、他に何かあるのか確認するも、あるのはただのタオルだけだった。

「ほな、これ」男は獲物を見つけた猫のように、目をぎらつかせる。出てきたのは契約書だった。あろうことかタオル一枚で半年の新聞契約をしようとしていたのだ。ぼったくりにも程がある。半年分の新聞代でタオルを何枚買えると思っているんだ、この男は。

しかも、無理やりに粗品(文字通り粗品だ)を渡して、はい成立だ。その身勝手さに多少腹が立って、「いや、いらんっす」と手に持たされたタオルを突き返した。

「そんなこと言わんと」何がそんなことか? 

僕はそのまま玄関扉を閉めてお引き取り願い、遺体の部屋に戻った。寝転んで天井を見る。祖父の顔に目を向ける。被せられた白い布切れが、エアコンの風でひらひらと揺れる。また会えたらいいのにな、と僕は思う。

男はたぶん、何食わぬ顔でまた別の家の主人に声をかけ、契約を取ろうと躍起になっていることだろう。彼も生きるために仕事をしているのだから。自分の家族を養うため、そのために恥も何もかもをかなぐり捨てて。でも彼は知らない。ここの家の主人がついこの間まで主人でなかったことを。喪に服している家庭に営業していることを。僕がまた、じいちゃんに会いたいと思っていることを。

彼は知らない。この部屋が線香の悲しい香りに包まれていたことを。

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