10/20 早朝読書会 「般若心経」現代語訳 レポ
読書会をやってみて
「般若心経」現代語訳の読書会を6名でやりました。
今回、岩波文庫の現代語訳で読みました。
般若心経を読んでみて、まず現代の物理学との繋がりを考えました。
現代では物質の最小単位は一応、素粒子ということになっています。物理学の教科書では素粒子というと球体の形で表現されていますが、本当はそんな形ではないらしいです。不勉強なので詳しくは言えませんが、ひものような状態だったり、振動のようなものだという話があります。
そして、我々の身体や、眼の前にある机やパソコン、世界にある全てのものを突き詰めると素粒子の集合体です。素粒子で構成されている構造の違いにより、物質の形、性質の違いが生まれている。しかし、我々が物を認識する時に素粒子の集合体としては認識せずに、物は一つの物として認識しています。その認識にしたがって日常生活を営んでいます。
素粒子の視点で立つと日常生活の見方とは別の物質の見方がある。「物質的現象には実体がない」とはそのように解釈しました。物質の時間の流れとともに、生まれたり、消滅したり、老化したり、減ったり、増えたりするようにみえますが、それらは全て素粒子の動いているだけであり、その視点で見ると特に変化がないと言えるでしょう。
このように、素粒子というミクロな視点で考えて我々が認識している物質的現象というのは実体がないという結論に至るのですが、もっとマクロな視点、宇宙全体の視点に立ってみても同じ結論に至ります。「質量保存の法則」の観点から言うと、宇宙の起源(ビッグバン)から今現在に至るまで宇宙という閉鎖空間内で物質が移動したり、その形状が変化することはあっても質量そのものが生み出されたり、消失したりすることがありません。
このようにミクロな観点からもマクロな観点からも、我々が普段感じてる物質的現象とは違った見方ができるでしょう。
ただ「物質的現象には実体がない」といっても実際に物質的現象を感じてしまい、その中で幸福に感じたり、不幸に感じたりする。「物質的現象には実体がない」といっても難しい。不幸に感じている時、物質的現象に限らず、幻想的なもの、例えば人から承認されたい、といったものに執着してしまいます。それが幻想だとわかっていたとしても。
般若心経は「物質的現象には実体がない」、その次の段階も示しています。最も有名な一節だと思われる以下の言葉です。
色即是空は「色(世界を構成する五蘊の一つである。五感で感じられる物質的現象)は空(固定的実体が無い。入れ物の箱のようなもの?)」であり、「空は色」である。この2段階を経ています。
色 → 空
空 → 色
まず、色 → 空という段階で認識を無効化し、そこから空 → 色で再構築する。現代思想で言う「脱構築」の流れに似ています。色は一つの解釈しかできないけれど(必然性)、空は無限の解釈を秘めている(可能性)という話を読書会の中で聞きました。「色即是空 空即是色」は空の世界にとどまるのではなく再解釈をして現実世界で生きていく言葉なのだと、そう思いました。
この「色即是空 空即是色」は読書会にも通じていると感じています。結局、作品というものは一つの解釈だけではなく、色んな解釈をしてもいいです。読書会では様々な意見が出ることにより自分の読み方とは別の読み方が出てきます。そこで作品の色んな可能性が出てきますが、しかし、様々な可能性を有した状態では作品を読むことはできない。読むためには一つの解釈、にもう一度収束していきます。ただ、最初の読み方とは変わっていることがあります。
これは、読書会だけではなく、人間関係や物事を観る目線にも言えます。人は一つの解釈に収まるような単純なものではなく、様々な可能性を秘めている。嫌いだと思っている人も「色即是空 空即是色」を経る事により好きになる可能性があります。
「色即是空 空即是色」は言葉より、そういった体験によって感じられる。そう思いました。
ご参加いただいた方の感想
Masatoさん
「色即空是」から「空即色是」へ、わかっていてもなかなかできないのが実際です。その「手立て」を「般若心経」を音読する以外につかみたかった。
次回
不定期で開催します。