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主催者の自己紹介記事の準備 #3

自己紹介記事の続きです。今日も好きな本を紹介していきます。

今まで書いた自己紹介記事

#1  #2

ローラン・ビネ『HHhH』

歴史小説はすべてフィクションである。
歴史には空白があり、絶対にいくら調べても調べきれない部分がある。例えば、議事録を残してないシークレットな会議であるとか、記録されていないふとした会話が歴史を動かしたかもしれない。ましてや人の心の動きなんて読むことができない。このような空白部分は想像力で埋めるしかない。
ぼくらは知っている情報だけで歴史を理解する。

この小説は1942年のプラハで実際に起こった、ユダヤ人大量虐殺の発案者にして責任者であり、「金髪の野獣」と呼ばれたナチスの高官ハイドリヒの暗殺事件を題材とした歴史小説である。それと同時に、この小説の作者=「僕」が歴史小説を書く上での技術的かつ倫理的なプロセスを語ろうとする。そのプロセスの中で、「僕」はハイドリヒの事件を語る上で徹底的に事実しか語りたくないというはっきりとした意思を提示し、ハイドリヒの事件について徹底的に調べ上げる。もし小説を書く上でそこに創作がまじるとすれば、それは<証拠物件が散らばっている犯罪現場の床に、起訴に有利な物証を忍び込ませること・・・。>として創作を混入することに対して嫌悪を示している。しかし、「僕」は何度も歴史の空白にぶちあたる「僕」は迷いながら、不安に思いながら小説を書く。

それにより歴史と、歴史を語る「僕」に血肉が与えられていくのだ。

歴史なんて勝った者たちが作った虚構にしか過ぎないというのは簡単だ。しかし、ぼくたちはどうしても歴史を必要としてしまう。アイデンティティは過去によって成り立っているからだ。
歴史とどう付き合うか、どう歴史を語るのか、この作品は少しヒントをくれるかもしれない。

『機動警察パトレイバー 2 the Movie』

今の日本に住んでいると、戦争はディスプレイの向こう側の世界にある。
恋愛だってそうだ。恋愛映画などフィクションは数あるが、ぼくらが生きている世界ではフィクションのようなドラマティックな恋愛ができる人は本当に稀である。
そのディスプレイを観ているわれわれにはその戦争や恋愛に触れることはできない。その時は人間ではなく、客観的な、天使の立場で居るしかないのだ。
もしかしたら、現実はここにはなく、ディスプレイの中にしか現実はないのかもしれない。

『機動警察パトレイバー 2 the Movie』にはよくスクリーンが出てくる。そしてスクリーンの中にカメラがあり、登場人物たちがスクリーンを注目しているシーンが何回かある。まるでわれわれ観客を登場人物たちが観ているような構造となっている。観ている観客たちは「これは映画である」という認識を何度もさせられる。
そして、観客たちはスクリーンの中にふれることができないもどかしさを覚える。

生きているこの世界が蜃気楼のように思えてしまう。もしかしてこちらが虚構空間かもしれない。また、この生きづらさは蜃気楼の中にいるような、ふわふわとした世界で生きているからこそ感じるのかもしれない。生きづらさが限界まで達し、ザラザラとした現実に触れたいという思いが最高潮までいったとき、なんらかの事件が起こる。

現実と虚構というありふれたテーマではあるが、アニメ映画という媒体を存分に利用し、メタ的な視点から現実/虚構の境界を瓦解させる、そんな作品である。

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