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主催(しょうご)が自由に書いたもの

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#ヨブ記

主催者の自己紹介記事の準備 #2

自己紹介記事の続きです。今日も好きな本を紹介していきます。 #1 旧約聖書「ヨブ記」 読書会でも扱った作品。そこまで長くない話なのに読んでも読んでも読み切れない。 難解なため解説書等の理解に頼りたくなるが、読み進めていくうちに、ことごとくどの解説書の内容も否定される。だから、「こうかな?」と独自の読み進めていくが、それも否定される。そのうち結局は何も理解していない読者だけが残る。 その『ヨブ記』を理解しようとするが、結局理解できない読者は、じつはヨブと同じような立場に

『ヨブ記』12章 の感想

虚構でしかない世界で人の痛みは伝達可能か 子どもとの生活から考える ぼくの息子はもうすぐ3歳を迎えようとしている。息子は2歳3カ月ぐらいから言葉を急激にしゃべれるようになり、今では大人たちがびっくりするような複雑な文章もしゃべれてしまう。しかし、まだまだ饒舌には話すことは難しい。息子がしゃべる際は、何度も詰まり言葉を反復しながら、一生懸命何かを伝えたくて必死に話そうとする。ぼくら大人たちは何とか意図をくみ取り、応答しようとする。そんなことを繰り返していくうち、なにか息子と

『ヨブ記』9章 主催者の感想

今回の箇所は、今まで読んだ箇所よりもストレートに意味が伝わり、何言っているのかよくわからない部分はあまりありませんでした。しかし、ヨブが友人のなんの言葉に対して反論しているのか?神に対して私の言葉は伝わらないと断言しているが、なぜ神に対して言葉を紡ぐのか?など疑問に残るところが多い箇所でした。 読書会では「神様への呼びかけ」の話になり、その後、ぼくは「他者との対話」について考えました。ここで言う「他者」とは、自分以外の他の人というだけでなく、物、自然、社会、経済、身体、自分の

旧約聖書『ヨブ記』8章 主催者の感想

8章は7章のヨブの発言を受けたシュアハの人、ビルダドの発言でした。ビルダドはヨブに対して「なぜそのように語るのか、あなたが不幸な時点で結論は出ている」というようなことを言っていました。 読書会では「神に対する罪とはなにか?」という話になりました。ビルダドも罪について語っています《もし、あなたの息子たちが彼(神?)に罪を犯したのであれば、彼が彼らの罪過の手に彼らを引き渡したはずである。》。今まで出てきたヨブ、エリファズ、ビルダドみんなヨブの罪について語っていましたが、具体的に

『旧約聖書 ヨブ記』6章の感想

第6章は、第5章のエリファズの発言を受けたヨブのパートでした。第5章のエリファズは、「ヨブにかかった不幸にはなにか原因、理由があるはず。ヨブ自身に原因があるのでは?」と問い詰めます。それに対し第6章のヨブは「なぜ私の苦しみを理解してくれない?なぜ私に向き合ってくれない?私が何をしたというのか!」みたいなことを言います。今回も非常に難しく、矛盾したように取れる言葉も多く、読解に苦労しました。 読書会でこの第6章を読み進めていく中で、ヨブの発言について「死」が顔を出しているよう

『旧約聖書 ヨブ記』4章〜5章 を読んで

4〜5章は文学的表現も多くあり、非常に難しい印象を受けました。今回読んだ部分はヨブ独白を受けた、テマン人のエリファズ(エリパズ)の応答です。すべてを失い、皮膚病になったヨブは自分の生まれた日を呪い反出生主義のような独白をしたのが3章、そのヨブに対してエリファズは「ヨブにかかった不幸にはなにか原因、理由があるはず。ヨブ自身に原因があるのでは?」と問い詰めます(ざっくり言うと)。 読書会にて、当時の文化で、年長者から順番に話す風習があるという話を聞きました。なのでエリファズは友