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『旧約聖書 ヨブ記』6章の感想

第6章は、第5章のエリファズの発言を受けたヨブのパートでした。第5章のエリファズは、「ヨブにかかった不幸にはなにか原因、理由があるはず。ヨブ自身に原因があるのでは?」と問い詰めます。それに対し第6章のヨブは「なぜ私の苦しみを理解してくれない?なぜ私に向き合ってくれない?私が何をしたというのか!」みたいなことを言います。今回も非常に難しく、矛盾したように取れる言葉も多く、読解に苦労しました。

読書会でこの第6章を読み進めていく中で、ヨブの発言について「死」が顔を出しているような気がしました。例えば下記のような箇所です。

どうか私の願いがかなえられるように、
神が私の望みを聞き入れるように。 
神が私を打ち砕くことを良しとし、
その手を引いて、私を断って下さい。 
そうすれば、私はまだ慰めが受けられ、 
仮借ない苦しみの中でも小躍りする、 
私が聖なる者の言葉から隠れてはいないゆえに。 
わが力が何なので、私は待たねばならないのか、 
私の最期が何なので、わが魂は日々を耐えるのか。 
わが力は石の力なのだろうか、 わが肉体は青銅でできているだろうか。
私の助けがわが内にあるだろうか、 
実りが私から取り去られているではないか。
並木 浩一 訳
『ヨブ記』第6章より

特に重要だと思われる箇所が《神が私を打ち砕くことを良しとし、その手を引いて、私を断って下さい。》です。第1章では《その人(ヨブ)は完全で、まっすぐであり、神を畏れ、悪を遠ざけていた。》と言っており、ヨブはかなり神に対して敬虔であったことが伺えます。そのヨブが神について「私を打ち砕くこと」は良いが、「その手を引いて、私を断って下さい。」ということを言い、そうすれば「仮借ない苦しみの中でも小躍りする」と言います。この矛盾したような言葉についてどう考えるか。ぼくはヨブがヨブ自身の内部(精神)と、外部(世界)を分離して考えているためにこういう言葉が出たのだと思いました。この前の発言でヨブの霊=精神について言及がありました《まことに、全能者の矢の数々が私に刺さっており、私の霊はその毒を飲んだ》。この発言は神がしたことに対して、ヨブの霊=精神が不幸を感じていると言っています。
また、第3章でヨブは以下のような言葉を残しています。

なぜ、私は死んで子宮を離れなかったのか、 
胎を出るとき、息絶えていなかったのか。 
なにゆえ、両膝が私を待ちかまえていたのか、 
どうして両の乳房があって、私がそれを吸ったのか。
そうでなければ、今は横たわって安らかであり、
 眠りに入って後、私は安息を得ているであろうに、 
並木 浩一 訳
『ヨブ記』第3章より

なぜヨブは新生児の段階で死ぬことを望んだのか?それは新生児には霊=精神が宿っていないとヨブは考えているからではないでしょうか。安らかな眠りとは意識のない状態です。ぼくたちは大体、新生児の頃の記憶はありません。死んだ後この宿った意識がどうなるかわからないように、新生児の段階ではこの意識がどうだったのかがわかりません。なので精神の発生場所を記憶がある最初の場所だと仮定すると、精神が発生する前段階で命を絶つことで、この不幸を感じる精神も同時に断ち切りたいとヨブは考えたのだと思います。
このヨブの不幸を感じる精神とは何でしょうか?ヨブはこの精神を神への反発だと考えたのではないでしょうか。敬虔な神への忠誠心がありながら、しかし神のしたことに対しては不幸を感じてしまう、辛い。このヨブの矛盾した気持ちが、矛盾した発言を産んだのだと思います。ヨブの外部にある自然は神の意志通りにスムーズに動いている。しかしヨブは、神の意志通り起こったことに対して、不幸を感じてしまう精神が障害となり、神の意志を聞くことが難しくなっている。ヨブの精神を神の手から切り離し自然に返すことによって、ヨブはなんの障害もなく神の意志を受け入れることができる、 と言っているのではないのでしょうか《仮借ない苦しみの中でも小躍りする、私が聖なる者の言葉から隠れてはいないゆえに。 》。
なんとなくぼくは、ヨブの考えの中に「精神」があることに対する嫌悪感や原罪を感じました。というのもぼくの中でずっと、なんとなくこの「精神」に対して嫌悪感を抱いているから、こういった読み方になったのだと思います。ぼくは以前、うっすら「ここからいなくなりたい、消えたい」を考えた時期があります。ぼく自身がしたことに対して、大切な人を傷つけてしまい、自分自身の惨めさ、情けなさ感じていました。その時、結局、国家も家族も仕事も友達も全て幻想にしか過ぎない、みんなその幻想を使って騙し騙し生きているに過ぎないと考えました。しかし、なぜかその幻想に振り回されるしかない。そんな自分にすごく嫌気がさしたのを覚えています。ぼくはヨブみたいにまっすぐな人間ではありませんが、ぼくも同じように自分が感じた不幸によって、今まで隠れていた精神があることの問題点が浮上したような気がします。

こういった作品を自分の言葉で語ることで、改めて自分のことを見つめ直すことができることを実感しました。


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