ロリスの今観返したい映画レビュー『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』編
「終活」という言葉が世間に浸透してから随分と経つように思える。
調べてみると2010年の新語・流行語大賞にノミネートされているとのことなので、私がこの言葉を知ったのも恐らくこの辺りだろう。
一般的には高齢者が急死を迎えた時に備えて残された家族への要求等をまとめておく、というイメージが強いものの……果たしてそうだろうか。
老いも若きも関係なく理想の生き方について夢想する方は少なくない。
その時にそれと対になる理想の死に方がよぎらないという方は中々いないのではないだろうか。
生と死は常に対であり、どちらかの理想を求める時にもう片方の理想も常について回るものだろう。
そして、私が理想の死を意識する時にいつも思い出す映画がある。
『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』
映画のタイトルというよりはボブ・ディランの楽曲のイメージが強いという方が多いのではないだろうか。
実際、本作の主題歌も同曲である。
「天国じゃ、みんなが海の話をするんだぜ。」
このキャッチコピーに惹かれた方は観て損は無い映画だと思う。間違いない。
ざっくりとしたあらすじを紹介すると、余命間近の男2人が死ぬ前に海を見に行く話だ。
脳腫瘍でいつ死ぬかわからない状態の男マーチンと、同じくガンで死にかけている男ルディ。
同じ病室をあてがわれた2人は意気投合し、酒を飲み交わす。
海を見たことがないと言うルディに対してマーチンは「天国で今流行っていることは、海の美しさについて語ることだ」と力説する。
酒の勢いもあって2人は車を盗んで海へと走り出すのだが、盗んだ車は大金を輸送中のギャングの車だった。
余命間近の男二人、ギャング、警察の三つ巴の逃亡劇が描かれるロードムービーだ。
本作の話をする時に外せないのがそのテンポの良さだ。
本作の上映時間は90分とコンパクトにまとまっており、それに合わせてストーリー進行もかなりのハイテンポだ。
ルディとマーチンの2人が旅に出るまでに20分とかからないのだが、それまでの理由付けは必要最低限の描写であるものの物足りなさを感じない。
例えば、病院で検査を受けるシーンだ。
尿検査では容器から溢れんばかりの尿をセクシーな女医に見せつけるマーチンと、検査前にトイレに行っていたせいで小便が出ないルディ。
注射を打たれても余裕の表情のマーチンと、気絶してしまうルディ。
これだけでワイルドでタフなマーチンと気弱で心配性なルディを対比は完璧だ。
ルディとマーチンを追う車を盗まれた2人組のギャングも同様だ。
冒頭でギャングの片割れヘンクが相棒のアブドゥルにジョークを聞かせるのだがアブドゥルはジョークの意味が理解できず、的外れな返答をする。
ヘンクは呆れて「お前に二度とジョークは聞かせない」と吐き捨てる。
このやりとりだけで2人の距離感がスムーズに呑み込める。
とにかく登場人物のロール説明が滑らかで向かう先もはっきりしているため、途中でだれることが無いのだ。
演出もリアリティよりもロマンを重視した内容なため、都合が良すぎるとも言えるがそうでなければこの心地よいスピード感を出すのは難しいだろう。
だが、どこまでいっても本作のテーマは予定調和の死だ。
楽しそうに海へと向かう2人はどうあっても死の運命から逃れられないのだ。
2人に迫るタイムリミットが長くないことを知っている視聴者である我々は、旅の終着点への期待と旅の終わりを見たくない名残惜しさが同居した不思議な感覚に陥る。
この感覚はルディとマーチンの2人が思いがけず手に入れた大金を使って願いを1つだけ叶えるという条件で寄り道をするシーンからより一層強くなる。
マーチンの願いはプレスリーファンの母のためにキャデラックをプレゼントすること(エルヴィス・プレスリーが母親にピンクのキャデラックをプレゼントした逸話から)、ルディの願いは2人の女とのセックス(要は3P)。
それぞれのパーソナリティと願いのギャップが見え隠れするコメディシーンなのだが、2人の関係はこの頃から徐々に変わりだしていく。
肝の据わったタフガイで行き当たりばったりのマーチンは薬を服用する感覚が段々と短くなっていき、弱っていく。
反対に気が弱くマーチンについて回るばかりだったルディは、マーチンの薬のために自らの意思で強盗をするほどの大胆さを発揮しはじめる。
2人に生じる変化からも物語の終わりが近いことを感じられて前述した何とも言えない気持ちになるのだ。
まとめれば、本作は2人の男の滅びの美学を描いた映画である。
遂にたどり着いた海は決して綺麗なものではなかった。
曇り切った灰色の空の下では、マーチンの言う「太陽が海に溶けていく瞬間の美しさ」なんてものは感じられそうにない。
2人は海岸に座り込んで海を眺める。
ここから2人の間に言葉はない。
海をバックにした2人の後ろ姿を映すのみでどのような表情をしているのかは見えない。
海を見た2人は何を思ったのか、それもわからない。
そして、エンディングテーマの「Knockin’ on Heaven’s Door」が流れ出し、物語の幕は静かに閉じるのだ。
海を見終えた2人は天国で海の話をしているのか、仲間外れにされているのか、それとも天国ではなく地獄へ堕ちたのか。
どれであれきっと2人で面白おかしく過ごしているのではないだろうか、そう思わずにはいられない。
なので私の終わりの時も彼らのように悔いのない最期、もとい最期に至るまでの理想の道程を選びたいとついつい夢想してしまうのだ。