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絵柄が変わった理由ー育児エッセイから、創作マンガへ

久しぶりのNOTE。更新滞っていたけど、週1くらいのペースで復活しようと思います(^^♪更新していない間も、過去投稿へぽつぽつとコメント頂いていて、びっくりしました。ありがとうございます。

さて、今日は、エッセイの絵柄が変わるまでの情けない経緯をかきます。

育児マンガから創作マンガへ移行しつつある経緯。

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創作マンガが描けなかった

創作漫画がずっと書けなかった。でも、ここ1ヵ月Twitter上で、かいている。本当に拙いし、面白いと思えないことも多いけど、描いているとは思える。とてもうれしい。

ほんの2ヶ月前までは、ずっと描けないと思っていた。

ほんと言うと5年前からもう、私は一生かけないと思っていた。
会社員時代から漫画を描き始めて、いきなり創作漫画にトライした。昔から描いていたわけではないので、自分で見て、気を失いそうなほど下手だし、何作か投稿してみたが、もちろん賞にかすりもしない。
数カ月に1本程度描いたものが、ペースもだんだんと落ちていき、もう辛い。こんなに結果が出ないなら辞めたいと思っていた時に子供が生まれた。正直にいうと「これで諦める言い訳ができたのか」とも思った。


でもどうしても諦められず、育児漫画を描くことにした。ちょっとずつなら続けられる。育児の記録にもなる。絵もうまくなるかも。

育児マンガの後ろめたさ

でもそこには少しやましさがあった。

だって私は他の育児漫画を描いている人と違って「子供の成長を描きたい」の前に「漫画を描き続けている自分」であることのへの執着がある。そういう執着があったから、他の育児絵日記を描くママさんより、マンガっぽい絵柄で描いてた。

そんな自分がすこし不純な気がしていた。でも段々と、娘達の目まぐるしく変わる表情や、ふっくらした手や、ヨタヨタした歩き方を、ただ描きたい、に変わっていった。描ききれてないなぁとも毎回の思うけど、楽しかった。

私に描き続ける情熱をくれた。

でも、エッセイなので、自分や自分の宝物を切り売りするような感覚も、ほんの少しある時期もあった。

実際に何度か育児エッセイに、そういうコメントがあったこともある。
「かわいいですね、ほのぼのします。こんな些細なこともネタにされて、可哀そうですね」

そんなコメントをずっと覚えている。フォローしてくている大半の人はそんな事は言わない。私の育児漫画をすごく暖かい目で見守ってくれる人が大半だ。
でもそのコメントが心にずっと刺さっているのは多分ほんの少し後ろめたさがあったから。


育児マンガの整合性と、吹っ切れたこと

今はもう、割り切れている。育児漫画についてはもう描く方が、育児にとって、よい影響があると、自分の中で判断がついた。

漫画を描くことで、私は娘たちへの観察がすごく繊細になったと思っている。娘たちをよく見て何を考えているかどうやってどう接したらお互いに穏やかに過ごせるかよく考えるようになった。
むしろ育児漫画を描いていなかったら私は育児がだいぶ辛かったかもしれない。

漫画を書くと言う事は「少し客観視してその出来事を見る」と言うことだ。
投げられた離乳食も転がったうんちも、自分1人だと辛すぎて情けなすぎて笑えないことがきっとあった。でもそういうものを楽しい思い出に変換することができた。辛いことも、フォローしてくれているママさんと分かち合うとちょっとだけ笑うことができた。
それで私自身が幸せになって子供に優しく接することができたならそれで充分じゃないかと思う

こうして、育児マンガの後ろめたさを割り切りったものの、完璧に払拭するために、初心の創作マンガにもう一度チャレンジしたいとも思った。

コルクラボ漫画専科に応募した約1年前。私は講義を受けながら、32ページの創作漫画を3年半ぶりに書いた。全く内容が思いつかずどうしたら面白くなるかもやっぱりわからず、教えてもらった通りになかなかできずなんだかすごく辛かった。
辛かったどころか、描けない思いつかないと、イヤイヤ期の2歳児のように床でのたうちまわって、泣いていた。

そんなことをしているときに、育児系実用マンガ本の依頼が来た。締め切り的に、かなり厳しい。
しかし、きっと良い本になるし、ママさんの役に立つなぁ、と思った。
これを自分以外の人がやってたら、なんかきっと後悔する気がする。

だから引き受けた。
チームに恵まれて、すごく引っ張ってもらい、赤ちゃんの寝かせ方の本はとっても役立つ良い本になった。なんとなんと4版まで決まった。(ちなみに、私の最初のエッセイ本は、重版しなかったぜ!笑)

絵を描くことに、後ろめたさがあるので、これは本当にうれしい。
自分の絵が、人の役に立っていると言う肯定感がある。
個人的なことをいうと、我が家のエッセイも、ちょいちょい入っているので、「子供たちの本を1冊ずつ描けた」と言う私の中の謎の公平性のバランスもとれた。

これで育児漫画を完全に、吹っ切りることができた気がする。初めて出した本は長女の本。2冊目に出した本は実用本。でも次女のこともたくさん入っている。長女と次女1冊ずつ残せた。

なんだか「卒業できる」と思えた。
そして気付けばコルクラボマンガ専科には、次期4期生が沢山入っていて、たくさん創作漫画をツイッターにあげていた。
それはもう本当に凄いスピードでみんなが成長していっている。私は4カ月くらい、本づくりにかかりきりだったので、改めてチャレンジしたい。



創作マンガへ再チャレンジ

そんな思いが重なって32Pの創作短編のネームを2つ描いて、私はコルクの佐渡島さんに、DMを送った。(「描けたら送ります」っていって、ネーム実際に送ってくる人って、少ないんですよね…と、ふーこさんが言ってくれたのが、すごく大きかった)

ありがたいことに、一度お話させてもらったが、マンガについては「何の話かよくわからない」と言われた。きゃーとても恥ずかしい。まずはあらすじから、説明できるようになってみてと言われる。

あらすじベースで送ってきていいよ、と言ってもらえて、ドッキドキで、あらすじを送り始めた。

そんな、低レベル女が、この1ヵ月ボチボチであるがちょっと楽しく漫画をかけている何があったのか。

その話は、細かくすると長くなるので、佐渡島さんとのやりとりは、次回に。


育児マンガを休むことに

創作漫画に向かい始めて、4年描いた育児漫画を描くのを、1ヵ月休んだ。
筆が遅いので両立できなかった。
次女を出産しても1週間も休まなかった育児マンガ。私にとってはだいぶ大きなことである。多分休むのが少し怖かった。

でも、私は自然とそっちを休んで創作漫画を描き始めていた。

そして、1か月間、創作が続いたので、恐る恐る育児マンガも再開することにした。創作に時間を割きたくて、時間がないので、絵柄を変えた。
他の育児漫画を描いているママさんと同様に、線数を落としたとほのぼのタッチの漫画に変えた。

すると1枚15分位で書けるようになって、また週一ペースくらいで、描き続けられるようになった。これを早くからできていない自分の要領の悪さが、悲しい。

自分の絵が上手くなるためという理由はもうない。純粋に子供たちの成長を残すためだけに書いていきたい。(ほのぼのタッチは、それはそれで要研究なのだが…。)

育児エッセイは、長女が小学校に上がる位までかな…あと2年くらい?かもしれないがエッセイは、ぼちぼち、自分のために、楽しく描いていきたい。

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眠井アヒル
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