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『9割が女性患者の難病』にかかった『ボク』の話⑦

※この記事は少し長くなります。ゆるゆると読み進めて頂けますと幸いです。

こちらの記事の続きになります。



「…もっと体のことを考えた方がいいんじゃないか?」

シェフからそう言われた。

思いがけない言葉だった。

確かに急に仕事に穴を空けることになって、迷惑をかけたかもしれない。

でも術後すぐに復帰ができるように、痛みを堪えながら、体が鈍らないようにしてきた。

そして実際、ほとんどリハビリらしいことをせずに、すぐに歩けるようになった。

股関節の状態もまだ動きとしては硬いと感じる部分はあるが、手術前と比べると格段に不安がなくなったので、自分としては明日にでも仕事を再開するつもりで、こうしてシェフと話をしに来た。

頭の中が真っ白になった。

裏切られたとさえ感じた。

自分の被害妄想なのはわかっているが、シェフの僕を見る目が気の毒そうな人を見る目に感じた。

重篤な病人のように見られている。

そう感じてしまった。

今までそういう風に感じなかったのに…。

それと同時にとてつもない申し訳無さを感じた。

シェフにここまで気を使わせてしまったことに。

すごく迷惑をかけたし、すごく心配をさせてしまった。

もしかしたら、責任を感じさせてしまったのかもしれない。

自分の体を顧みずに無茶をしたのは、自分の自己責任なのに。

そういう風に思わせてしまったかもしれないことに、心苦しさを感じた。

普段のシェフはめちゃくちゃ優しい方だ。(仕事中は怖いが)

専門学校に通うために上京して間もない自分に、本当に色々な事を教えてくれた人だ。

僕にとってのフランス料理における、まさに「師匠」と敬愛するような人であり、父とも思えるような人だ。

それぐらい尊敬している人に迷惑をかけてしまった。

もうこの人からの自分に対する信用は無くなったのだろう。

だから、自分からもう一度やらせて欲しい、なんて食い付いて言う事はできなかった。

突然、職を失うことになった。

(これからどうしよう…)

退院してまだ間もないので、まだ股関節の硬さは感じる。

ひとまず、無理のない範囲で歩こう。

そして、健常者の人と遜色ない歩き方ができればすぐにでもどこかで働こう。

そう考えた。

それから割とすぐに、とある出来事に遭遇した。

以前暮らしていた所にたまたま行ったその日。

思いがけない出会いがあった。

「ちょっと、すみません!」

電車に乗ろうと駅に向かっている時に中年くらいの男性に呼び止められた。

僕が何か落としたのかと思ったら違うらしい。

突然名刺を差し出された。

「私、こういうもので芸能事務所で仕事をしているのですが、ちょっとお話させて頂けますか?」

驚いた。

どう取り繕っても、自慢話のようになってしまうが(自分としては自慢話をしているつもりは毛頭ない)原宿や渋谷みたいな場所でなら、よくそういう人に声をかけられた。

ただ、そういう土地でスカウトしている人は、スカウトと称してレッスン料や登録料をぼったくるという実態があることを聞いていたので、声をかけられても聞く耳を持っていなかった。

きっと誰にでも声をかけているのだ。

そういう風に見ていた。

だからこの時もそうだと思い、断ろうと考えていた。

だが、この時の人は違った。

すごく真剣な表情で、丁寧に事務所のことだったり、なんで声をかけたのかというのを、しっかりと説明してくれた。

なので熱意に押されて、後日事務所にて話だけ聞かせてもらうことにした。

時間もぽっかり空いて、少し興味が湧いたのだった。

まだ本調子ではない足取りで事務所に向かった。

場所だけで言えば一等地とも言えるような所だが、事務所が入っているビルは雑居ビルという感じで、そこまで大きい規模の事務所ではないんだなと感じた。

エレベーターで向かう。

降りるとすぐに入口になるが、民放ドラマや映画のポスターがずらりと貼られていた。

事務所の誰かが出ているのだろうか。

受付を済ませると、ひげを蓄えたぽっちゃりとした男性に別室に案内される。

この人(以下クマさん)はどうやらマネージャーらしい。

街で声をかけてくれた人はどうやら本日不在のようだ。

クマさんから芸能の仕事に関する心構えや注意事項等を説明される。

そして、契約に関する話となり、登録料や宣材写真の料金の説明をされる。

(あぁ…やっぱりそういう展開か)

と思ったが、話を進めて聞いてみると、どうやら僕はそういう料金を払わないで登録してもいいらしい。

しかも仕事はメールで案内が届き、入れる日程の時に返信すればいいらしい。

自分にとってすごく都合が良いと感じた。

料金などの負担も無く、好きな時に仕事をすればいいなんて、今の自分にとってすごく都合が良かった。

裏があるのではないかと訝しんだが、でもこれも何かの縁だと思い登録することにした。

ギャラは仕事をした日から三ヶ月後に振り込まれるそうなので、デメリットと言えばそれくらいか。

なので、副業の1つとして確保することに決めた。

それから1週間位もすれば、スイスイと歩くことが出来た。

もう街を歩く人と見比べてみても、遜色ない歩き方が出来ていると思う。

これなら内部障害を抱えていることはバレずに仕事ができる。

そう思いアルバイト情報を探す。

すぐにでも飲食の仕事に戻るつもりでいたので、その線で探そうとするが、やはり体の事を考えなければと思い、少し違う方向で探してみることにした。

なぜまだ飲食の仕事を続けようと考えていたかと言うと、「JSA認定ソムリエ資格」を目指していたからだ。

条件は色々とあるがその1つに、試験期間中に在職していなければならない、というのがある。

つまり無職または、全然飲食に関係ない仕事に着いていては、認定されないのだ。

だから飲食ではなく、それに近いお酒を扱った仕事はなにかと考えた。

そして僕はお酒を売る仕事ならどうかと考えたのだった。

それならレストランで接客で働くよりも、より試験対策に向けて勉強ができると思ったのだ。

そこでワインショップのアルバイトに応募してみた。

結果は採用。

突然、職を失ってから割とすぐに決まった。

思いがけず、短期間で仕事が2つ決まった。

こんな体だから、何かあった時に休めるようにアルバイトにした。

面接の時に難病の事、人工股関節の事は説明しなかった。

また意地っ張りな性格を発揮した。

でもアルバイトだから、あまり責任感を持たずに気楽にやれたというのもあるだろうが、以前と比べると感じる負担は少なかった。

以前だと20人のお客様を、1人ないし2人で捌くことが多く、自分がやらなければまわらないと思い、責任感を感じて仕事をしていた。

しかし、ここだと自分以外にも人がいて、頼ることができる環境だったというのが大きい。

この仕事でようやく、頑張り所と気を抜く所の判断ができるようになったと感じる。

今まで常に全力疾走をしていたから、体に負担をかけていたんだなと反省した。

この仕事で唯一体に負担を感じた事と言えば、大量のワインを搬入する時だろうか。

やはりレストランの時と扱う量が違い、毎日のように100本単位で搬入されるのだが、その搬入される場所が店舗から遠いのだ。

ワインショップは百貨店の地下にあり、搬入口はさらに下の階となる。

エレベータまでの距離も遠く、坂道があったりするなどして、大量のワインを運ぶのには、股関節の手術を終えたばかりの体には負担だった。

車輪のついた大きいカゴで一度に運ぶのだが、あまりにも量が多いときには先輩に手伝ってもらったりしていた。

ワインショップでの仕事は、ワインの勉強が捗った。

なによりすでに資格を取得した先輩がいるという環境は大きい。

今までだと職場にそういう人はいなかったので、どうしても本による知識に頼っていて、頭でっかちだったのが一気に見識が広がったように感じた。

試験対策による知識もそうだが、お客様に説明する時の表現する語彙力も増え、ワインをより好きになった。

本来なら「特発性大腿骨頭壊死症」になって、ステロイドとお酒が原因になり得ると知った時に、違う仕事を検討するべきなのかもしれない。

手術した方とは逆の方も壊死が始まり、両膝関節も壊死が始まっていることからも、立ち仕事は控えるべきなのだろう。

だが僕は一度決めた「JSAソムリエ資格」を取得するという目標を曲げることは出来なかった。

まだまだ勉強し始めた段階で諦めるのは、絶対に悔いが残ると考えた。

実はもう1つ理由があった。

このままこういう生活をしていたら、左側の壊死が進み手術を行わざるを得ないようになり、両股関節が人工股関節になることで、色々とバランスが良くなるのではないかとも考えた。

1度股関節を失った身だ。もう1つ失ってもさほど変わらない。

むしろこのまま引き伸ばして、いつ痛みが訪れるかわからない恐怖に怯えるより、さっさと手術して壊死している股関節を取っ払いたかった。

やりたいことをやれずに怯える日々を過ごすより、やりたいことをやってそれで何か起こるなら仕方がない。

そういう覚悟はできていた。

…なんて理由を色々述べたが、結局の所この時は本当にワインが好きだったのだ。

芸能の仕事の方も体の状態が良ければ、休みの日に入ることが出来ていた。

芸能の仕事といっても最初はエキストラが多く、立ったり歩いたりするだけなので、ギャラもさほど良くない。

だがその気軽さが自分の体の負担にはちょうどよかった。

ドラマや映画、CMやバラエティの再現シーン。

色々な現場を見ることができ、色々な人達との出会いがあった。

こういう仕事をして感じたのが、テレビでは数10秒くらいのCMでも関わっている人の数はとんでもないんだと感じた。

現場に来ている人だけでもすごい数の人だと感じるのに、ここにいない裏方の人やクライアント等を含めたらと考えると、企業CMの規模の大きさに驚いた記憶がある。

何度か現場をこなすと、事務所から「スタンドイン」という仕事を紹介された。

「スタンドイン」とは・・・映画やテレビ番組の撮影前に、配光、立ち位置を確認するといった照明や撮影の準備作業のために俳優の代理をする人物である。

俳優さんの拘束時間や負担を減らすためにこういう役割があるそうで、この時初めて知った。

エキストラに比べるとギャラは良くなるらしい。

やることが増えるわけではないので、体に負担のない範囲でやることにした。

割と面白い仕事だった。

決して実際に映像が流れる時に表に出ることはないが、エキストラの時と比べると、有名な俳優さんとより近い距離にいられて、普段見ることのない表情を見られた事がなかなか他の人には無い良い経験したと感じる。

子供の頃から、他人と比べると自己顕示欲が乏しいタイプだったから、表に出ないこの役割が面白く感じたのかもしれない。

文化祭、クラスで舞台をすることになれば、率先して照明係に手を上げるような子供だったのだ。

ソムリエ試験の日が近づいてくる。

この試験は1次試験に筆記、2次にテイスティング、3次に試験官をお客様に見立てたデキャンタージュの実技試験があった。

デキャンタージュとは・・・行為としてはワインをボトルからデキャンタと呼ばれる大きな器に移し替えることを指す。ワインの香りを開かせる効果がある。

レストランでワインをボトルで注文したことがある人なら、イメージがつくかもしれない。

お客様とコミュニケーションを取りながら、ワインのコルクを抜き、テイスティングをして、このデキャンタに移す一連の作業をデキャンタージュという。

正直3次試験までいければ、落ちることはほぼないと言われている。(あくまで噂だが)

問題は筆記の1次試験とテイスティングの2次試験だ。

特に最初が1番大きい山だ。

ここさえ乗り切れば、いくらか気は楽になる。

2次試験が不合格でも、来年度の1次試験は免除されるので、なんとしてでも1次試験は合格したかった。

筆記試験は辞書みたいな本から出題されるのだが、暗記するしかない。

仕事が終わった後も、休みの日もひたすら勉強した。

その結果、6割から7割の得点を取れれば合格という試験を、8割以上の得点を得られることができ、1次試験は通過した。

嬉しかった。

こういう試験は本番に弱いタイプなのを自覚していたから、試験日当日は本当に緊張した。

だがこの時緊張しながらも、落ち着いて試験に臨めたのは、しっかりとした準備ができたからだと思う。

学生の頃は、とにかく本番に自信がなかった。

定期テスト等でなまじ中途半端に良い成績が出せる分、受験本番になるとめった打ちにされた。

そんな学生時代だった。

だが就職して、仕事をしていく中でしっかりと準備をすることの大切さを学んだ。

準備が完璧なら自信を持って事に当たれる。

それを大人になってようやく気づいたのだ。

だからこのソムリエ試験にも緊張がありながらも自信を持って臨むことができた。

難病になっても、人工股関節になっても、健常者と並んでやれるんだ。

この成功体験がひとつの自信となった。

そして2次試験の日がやって来た。

テイスティングにも自信はある。

職場の人達の協力もあり、ぶどう品種の判別や適切なコメントの選択等、かなり正解に近いものを導き出すことが出来ていた。

テイスティングというと、味覚が重要になってくると思われがちだが、むしろ味覚が必要になってくるのは最後の確認の時になる。

最初の視覚による情報、次に嗅覚による情報で、ワインの7〜8割くらいの情報は読み取れる。

「シェーグレン症候群」により味覚が以前と違っていても、勝負が出来る。

自分のような体でも出来るんだ。

そう思っていた。

もう気合に満ち溢れていた。

(そうだ!思い切ってひげを深剃りしよう!)

もちろん普段からひげは毎朝剃っていたが、肌が弱いためにそこまで深剃りすることはなかった。

だからこの日は思い切って、口の周りをスッキリさせようと思い、気合を入れてひげを剃ろうと思った。


普段使わないジェルを使って。


いかにもメンズ向けの商品らしい、スーッとする系のアレだ。

男性の方ならなんとなく想像して頂けると思う。

化学的な匂いのキツさに


ひげのまわりにベタッとつけた時に気づいたのだ。

自分の過ちを。

それに気づき、洗い流して普段使用している匂いのないタイプに替えた。

だが、どうしても鼻に残るスーッとした感じが消えない。

そうして試験の時間が近づいてくる。

もうやるしかない。

そんな26歳の秋頃のおバカなお話。

==⑧に続く==



こんにちは。
改めまして、KOH@メタメタ系男子です。(sle_koh)

7話目になります。

とんでもないおバカなことをしてしまいました笑

大事な日に普段やらないようなことをやるもんじゃないですね〜。

まぁ今振り返れば、そういう失敗もまた人生だなと思えてくるので、面白いものです。

当時はそんな風に思えなかったですけどね笑

結果の方は次回になりますが、当然プロフィールをご覧頂ければネタバレが見られます。

いや、プロフィールを見てもこれの結果は書いてないかも…。

というわけで、人工股関節になり身の回りの状況が一変した僕になりますが、仕事での収入面はあまり安定していませんでしたが、体調面では割と安定していた時期でした。

手術後、仕事をしながらもステロイドを徐々に減らせたし、立ち仕事でお酒を飲んでも、CK(クレアチンキナーゼ)もそこまで上昇していなかったと記憶しています。

それはやはり、勤務時間が普通の8時間勤務でやれていたからですかね。

アルバイトだから残業することもそんなになかったですし、普通の働き方ならなんとかやれるんだなと、気づいたのもこの時期でした。

色々と無茶をして体がぶっ壊れた分、自分の許容量がなんとなくわかってきて、どれくらいなら自分は無理をしていると感じているのか、どれくらいなら無理なくやれていると感じていられるのか。

そういうのがわかってきた時期です。

このときだと難病になって3年目に入るくらいですかね。

僕は意地っ張りでおバカなので、それくらいかかりました。

これをご覧の方で今何かお身体が苦しい、病気がつらいと思う方は、どうか僕の様に無茶はせずに、ご自身のお身体を大切にして欲しい。向き合ってあげて欲しいと思います。

今はつらくても、生きていればきっと笑っていられる日が来ると思っていますので。

ここまで長文をご覧頂きましてありがとうございました。

これを読んでくれた方の1日が良いものでありますように。

ご覧頂きましてありがとうございます。サポートして頂きましたものは、難病の子供支援に蓄えたいと考えております。よろしくお願いいたします。