『9割が女性患者の難病』にかかった『ボク』の話⑥
※この記事は少し長くなります。悠々と読み進めて頂けますと幸いです。
こちらの記事の続きになります。
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「特発性大腿骨頭壊死症」
大腿骨頭が阻血性壊死に陥って圧潰し、股関節機能が失われる難治性疾患。
自覚症状は大腿骨頭に圧潰が生じたときに出現し、この時点が大腿骨頭壊死症の発症である。
初めて聞いた時は何かの冗談だと思った。
(壊死…?自分が?)
科学的根拠となる原因は不明。
可能性として、お酒を2合以上毎日飲まれているような人や、ステロイドを一日あたり、15mg以上服用している人が多いらしい。
実は自分にはどちらもよく当てはまる節はある。
SLEが発症してからもう1年半。
ステロイドが15mg以下にまで下がったことはまだなかった。
確かちょうどこの少し前くらいに、やっと15mgまで下がったばかりだったと思う。
お酒の方、アルコールの摂取も思い当たる。
サービスマンではあるが、ソムリエを目指していたということもあり、お店のワインの提供は自分が一手に引き受けていた。
ワインを抜栓すればテイスティング(試飲)は必ずする。
営業前の準備として、その日グラスで出すワインのコンディションチェック。
営業が始まり、お客様がオーダーしたワインの抜栓後のテイスティング。
それだけだと、お酒2合分には届かないかもしれない。
だが、僕はそういう仕事を生業としていた身だ。
仕事中以外にも、飲んで勉強することが多々あった。
休みの日、どこかのお店に食べに行ったら、最低ボトル1本分のワインは飲んでいた。
そんな生活をしていたから壊死が進んだのかもしれない。
先生からは
「恐らく治療当初にステロイドを60mgという大量投与をしたことで、壊死が進んだのだろう」
という風に聞いたが、自分の中ではそれだけではなく、自分が選択した仕事、自分が選択した食生活、そういった数々の選択の結果このような事態を引き起こしたんだと、妙な納得感があった。
ステロイドの副作用で骨粗鬆症になりやすくなる、というのは治療開始した段階で聞いていたので覚えている。
SLEだと初めて伝えられた日より、不思議と自分は受け入れることができてはいた。
だとしても、痛いのは痛い。
まずこの痛みをどうにかしたいと思った。
ひとまず痛み止めの薬を処方してもらった。
そして手術を提案された。
これからどうするか、3つほど選択肢はあるらしい。
・このまま痛み止めを服用して、やり過ごす
・大腿骨頭回転骨切り術
・人工股関節置換術
「このまま痛み止めを服用して、やり過ごす」
これはMRIで壊死がはっきりと広がっていることが確認された今、何かしらの手術はしたほうがいいとのことで勧められはしなかった。
「大腿骨頭回転骨切り術」
大腿骨頚部軸を回転軸として大腿骨頭を前方あるいは後方に回転させることで壊死部を荷重部から外し、健常部を新しい荷重部とする方法。また、同時に大腿骨頭を内反させることにより、寛骨臼荷重部に対する健常部の占める割合をさらに増やすことができる。
ざっくり言うと、切った骨の部分をぐるんと回転させ、自分の骨は残したまま骨盤と大腿骨がくっついている位置をずらして、動きを滑らかにすることで痛みをなくそうというもの…でいいのかな。
「人工股関節置換術」
圧潰した大腿骨頭を人工骨頭で置き換えたり、股関節全体を人工股関節で置換する。骨切り術に比べて早期から荷重が可能で、入院期間も短期間ですむが、人工物自体に耐久性の問題があり、将来再置換術が必要になる可能性があることを念頭に置く必要がある。
これは、壊死して悪くなっている所を切り落として、金属に置き換えるというものになる。
この3つを提案された。
職場との兼ね合いもあるので、この日のうちにどうするかを決めることはできなかった。
結論は一旦持ち帰ることにした。
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家に戻り相当悩んだ。
それぞれにメリット、デメリットがある。
初めてこの件で整形外科を受診した時に、処方してもらった痛み止めはさほど効果を感じなかった。
ならば手術しかないのだろう。
自分の中で決意はできていた。
ではどちらにするか。
骨切り術のメリットは自分の骨は残ったままで、症状が改善されるという。
しかしデメリットとして、リハビリ期間が長くなる可能性、再手術が発生する可能性というのを伝えられた。
壊死が結構進んでいるということで、骨を切って位置を替えたとしても、また痛みが発生する可能性はあるとのこと。
対して人工股関節置換術の方は、壊死による痛みは完全に取れ、リハビリ期間もそう長くはない。
だが、金属である以上摩耗により金属の劣化による寿命で数十年後に再手術の可能性はある。
また、日常生活における動作に置いても制限がかかる。
例えばあぐらや正座が難しくなるなど、スポーツするにも制限がかかる。
自分の中でどうしたいかの優先順位を組み立てる。
まずはなんと言っても痛みは取りたい。
それは最優先事項だ。
手術やリハビリによる痛みもできるなら減らしたい。
あとは早期に職場復帰したかった。
この事を考えると、自分の中では「人工股関節置換術」の方に気持ちが傾いていた。
あとはなにより、置換術のデメリットである劣化による寿命の件は、実は自分のなかではさほどデメリットに感じなかった。
というのも、「SLE」になってからは長生きできると思っておらず、親に看取られる可能性の方が高いよな…と思って生きていたからだ。
人工股関節の寿命が来る前に自分の寿命が先に来るだろう。
そんな自己破滅的な考え方をしていた。
一時的に気持ちは前向きに向いていたが、根っこの部分では自分の人生に希望を見出せていなかった。
だから、病気にかかっても体の事はさほど考慮せず、病気にはあっていないと言われた飲食の仕事を続けていた。
やりたいことをやれない人生になんの意味があるのか。
自分が望めば楽な生き方はできたのかもしれない。
病気にかかってから気づいたが、この国の福祉はすごく充実していると思う。
生きることだけを考えれば、なんとでも方法はあると気づいた。
幸い自分には親や兄姉がいる。
頼れる人は存在する。
体のことを考えれば、何もしないほうがこの病気にはいいのだろう。
体を動かすことで感じる疲労やストレスがこの病気には良くはない。
それは痛いほどよく分かる。(実際に痛い思いをしているからだ)
だが僕にはそんな食べて、寝て、トイレしてだけの人生なんて嫌だった。
まだ完全にこの病気を受け入れることは出来ていなかった。
そんな自分だから結論を出すのは割と早かったと思う。
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その次の日。
職場に連絡する。
これまでの経緯を伝え、自分が出した結論を伝える。
「人工股関節置換術」をすることに決めた。
シェフもそれを了承してくれた。
スタッフの数も少ないのに、急に抜けることとなり、すごく迷惑をかけていることに申し訳無さを感じた。
だからせめて、心配をかけないように出来る限り元気な声で伝え、リハビリをすぐに終え、早期の職場復帰を望んで、手術にあたることを伝えた。
そして家族にもこの事を伝え、再び整形外科の外来に向かう。
手術は1ヶ月半後に決まった。
手術室の空きがないらしい。
1ヶ月半痛みを我慢しながら生活することになる。
自分としてはすぐにでもやる予定だったので、残念だったが仕方がない。
耐えることにした。
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もう寝ていても、股関節の痛みで目が覚める。
動作を開始しようとした段階で痛みが走る。
動作中も痛みが走る。
そんな状態だった。
唯一気が休まるのは、立ちっぱなしか座りっぱなしの時。
つまり、なにも動作をしていない時は痛みを感じずに済んだ。
だが立ちっぱなしにしても、座りっぱなしにしても、後々動作をすることになるので、歩き始めたり、立ち上がったりする度に痛みへの恐怖があった。
そんな状況だったため、大人しく過ごすことが一番よかったのかもしれない。
でも僕は違った。
思ったより時間が空いたので、旅に出ようと考えたのだ。
ちょうどその時は青春18切符の春の分が開始されようとする頃だった。
今まで考えたことがなかったのだが、時間が空いている今、のんびり電車の旅もいいかもしれないと思った。
理由は2つある。
1つ目は青春18切符を使用したことがなかったから、それを使って電車に乗ってみたい。
2つ目はこのままじっと何もしないままでいたら、筋力が衰え、リハビリが苦しくなると考えた。
歩く理由付けが欲しかった。
リハビリの辛さは右腕の時に経験した。
だから僕はこの手術にあたって、出来る限り貯筋をして、リハビリ期間を短くさせようと考えたのだった。
健康な体なら楽しい旅かもしれない。
僕の場合は、常に痛みに耐えながらの旅となった。
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旅は5日間。青春18切符5回分をすべて使って色々回ろうと考えた。
友達はいなかったので、こんな体で一人旅をすることに決めた。
大きな目的は「石上神宮の御神剣守」というお守りの入手と、「伊勢神宮」への参拝。
そして、京都と大阪と名古屋への観光に決めた。
神を信じているわけではないが、この時ばかりはなにかにすがりたいと思うくらいに、心は弱っていた。
「石上神宮の御神剣守」は起死回生のお守りらしい。
起死回生とは死にかけていたものを生き返らせることで、ほとんど望みのなくなった状態を再び元の状態に盛り返すことだそうで、「SLE」の症状が酷くなり、死にかけていた自分としてはぴったりなのではないかと思い、ご利益にあやかろうと思ったのだ。
「伊勢神宮」への参拝は、子供の頃に行った時に感じたあの厳かな雰囲気が好きだから、この機会にもう一度行こうと考えた為、決めた。
宿は民宿等にして、費用は抑えた。
伊勢神宮の近くで泊まった民宿は外国人観光客が多く、さすがだなと感じた。
京都では稲荷山に登った。
足の痛みに耐えながらの山登りはきつかったが、それでも昔見たあの鳥居の並んだ美しい景色をもう一度この目に焼き付けたいという一心から、遅くても一歩一歩進んで山頂まで行けた。
こんな体でも山登りが出来たという成功体験が少し自分の気持ちを前向きにさせてくれたし、5日間痛みと付き合いながらも1人で旅が出来たという事が自信になった。
これまで散々痛い思いをしてきた。
手術による痛みにもきっと耐えられる。
そういう自信ができた。
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旅から戻ってきて、筋力が衰えないように、痛みを感じない運動をした。
それは自転車を漕ぐことだった。
歩くのは、足が地面についた時に荷重がかかり、激しい痛みが生じるのだが、自転車だとそういう痛みがあまりない。
立ち漕ぎをしなければ、痛みをあまり感じずに漕ぐことが出来る。
それに気づいてから、自転車で色々なところに行った。
それで、体力と下半身の筋力をつけた。
もちろん、あの事故を共にした相棒と。
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ついに手術の日がやって来た。
手術は下半身の局所麻酔だが、起きているのは嫌だったので、眠らせてもらうことにした。
「脊椎麻酔」という方法で行った。
これは腰から針を刺し、脊髄に到達したら、麻酔液を注入するというもので、想像すると、とんでもないことをやるんだなと自分では身震いしていたが、実際にやってみると、もちろん針による痛みや、違和感はあったが、思ったよりも大丈夫だった。
麻酔を注入すると段々と下半身が熱くなり、おへそから下の感覚がなくなる。
下半身不随の人の感覚はこんな感じなのかと考えるくらいには、落ち着いていた。
そして、下半身をトントントンとされ、感覚が無くなっているかの確認をされる。
麻酔が効いてきたら、尿道カテーテルを入れられ、人工呼吸器をつけられ、眠りに入った。
(尿道カテーテルによる痛みはすでに経験済みなので、前もって麻酔が効いた段階でやってもらうようにオーダーした)
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目が覚める。
まだ手術室のようだった。
先生の顔が見える。
結果は大成功との事だった。
僕は返事を伝えようとするも、声が出づらい。
サムズアップで答えた。
そのままベッドで病室まで運び込まれる。
まだ麻酔が効いて、腰から下が全く動けない。
そもそも動く気力も沸かなかった。
手術跡を見てみる。
腰骨のあたりに痛ましい傷が出来ていた。
驚いたのは、傷口は縫っておらず、テープでつなぎ合わせているだけだった。
右手首の時は縫って傷口を繋いでいたので、てっきり今回もそのようになるものだと思っていたが、違っていた。
傷口を触ってみたが、金属が入っているかはあまりわからない。
逆側と比べると、すこし出っ張っているかなと思うくらいだ。
これでもう自分の右股関節は無くなったんだなと寂しさを感じた。
麻酔が切れてくると、手術したところから激しい痛みがやってきた。
皮膚を切って、筋肉を切って、骨を切っているんだから痛みが来るのは当然だろう。だが、この痛みは格別だった。
痛みに耐えきれず、体が痙攣したかのように震えだした。
とてつもなく痛い。
これまで経験した痛みとはまた違うものだった。
あまりにも痛くて、久しぶりに涙を流したほどだ。
「シェーグレン症候群」になってから涙を流す機会は殆どなかったが、このときは涙が止まらなかった。
痛みによって涙が溢れたというのもあるが、そもそもなんでこんな痛い思いをしなければならないのかという理不尽な思いから、涙が止まらなかった。
難病にさえ、事故にさえ遭わなければこんな苦しい思いをすることはなかったのに。
そう思わずにはいられなかった。
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痛み止めを追加して、なんとか凌いだが、切れたらまた痛みがやってきて、また痛み止めを入れるという繰り返しだった。
次の日になって多少抜けたが、それでも股関節に感じる違和感は激しかった。
確かに足はくっついているが、自分の足のようで、自分の足じゃない感じ。
上手くこの感覚を言葉に表すことは難しいが、足の中に何か異物が入っているような感覚だ。
実際に異物が入っているのでそう感じるのも無理はないが。
時間が経ってくると、感じる痛みは切開した傷口によるものぐらいになった。
その日の夜ぐらいになると、少し無理をすることにはなるが、ベッドから出て、自立することは可能になっていた。
自分でもまさか術後次の日には立てるようになるとは思わなかった。
その次の日には車椅子移動が認められ、トイレも自分で行けるようになっていた。
そのくらいになると、リハビリテーションに行けるようになった。
最初は、リハビリと言っても、ストレッチをする程度だった。
術後すぐは硬いので、それをほぐす感じだ。
2日は車椅子生活だったが、すぐに歩行器へと移った。
車椅子の時と比べると、移動が随分楽になった。
しかしそれもそんなに長くなく、すぐに杖歩行が認められた。
かなり順調に調子が良くなっていき、術後約1週間で退院することが出来た。
先生も看護師さんも理学療法士さんも皆驚いていた。
回復が早すぎると。
自分でも驚くほど術後経過が順調だった。
リハビリもそれほど必要なく、人工股関節がくっついたと感じる感覚ができてから、理学療法士さんも驚くほどの動きを見せていた。
術後すぐにこんなに動ける人を見たのは初めてだと、言って頂けるくらいに。
もちろん、退院時には杖も必要なく自立歩行ができるくらいになっていた。
股関節の痛みも無い。
傷口が多少痛いが、それがなくなれば痛みは完全に収まる。
すぐに仕事ができる。
…そう思っていた。
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退院の報告をシェフにした。
ひとまず傷口の事があるので、1週間様子を見て、それから今後の事を話そうということで話は終わった。
やれる自信はあった。
痛みに対する不安はもう無い。
手術前から体力や筋力は蓄えてきた。
以前のようにやれる。
いや、モチベーションだけなら前以上に高かった。
そして退院後初めて職場に顔を出す。
近くのカフェで話すことになった。
今の体の状況、これから気をつけなければならないこと、そしてまだまだここで続けられることを伝えた。
しかし、シェフからの返事は思いがけないものだった。
桜が散り始めてくる25歳の春頃だった。
==⑦に続く==
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こんにちは。
改めまして、KOH@メタメタ系男子です。(sle_koh)
今回「特発性大腿骨頭壊死症」に関する情報は「難病情報センター」様から参考にさせて頂きました。
何か問題がありましたら、ご指摘頂けますと幸いです。
今回の話の中心はまさにこの「特発性大腿骨頭壊死症」に関するものになりました。
手術に関する情報は色んな所で得られると思うので、手術にあたっての僕の心境などを中心に綴りました。
近年だと、タレントのだいたひかるさんや坂口憲二さん等が同じ病気で苦しまれています。
千原ジュニアさんは病名を公表していませんが、股関節の痛みを訴えています。
SLEと比べると、割とポピュラーな病気、健康な人でもある日突然なる可能性はあるのかなという病気ですね。
お酒の量が多い人だとなりやすいそうなので、これを見てくれている人は今後お酒との付き合い方は、健全なものにしてくださいね。
股関節が痛いのはつらいですよ。
僕は一生このまま痛みに耐えるくらいなら、すぐに手術をしてQOL(生活の質)を高めたいと思ったので、早期の手術を決断しました。
そんな風に決断したのも、本文で書いたとおり破滅的な考えによるものですが、僕は今でもその決断に後悔は無いです。
手術をして格段に良くなりました。
まず、痛みの不安がないというのが大きい。
股関節をなくした以上、これ以上壊死による苦しみから開放されたというのはかなり精神的にかなり救われます。
体が動くなら、気持ちも前向きに持っていきやすい。
日常生活における歩行や走行は問題なくできますし、スポーツもフィジカルコンタクトがないようなものなら大概のものはできます。
不安があるとすれば、数十年後にやってくるかもしれない、劣化による再手術ですが、これも近年の技術の向上で伸びるかもしれないと言われています。
まぁそれはあくまで可能性でしかないのですが、でも僕は年をとってからこの手術をするより、若い今だからこそ、手術をして人工股関節でも問題なく動くことが出来ることを知っていたほうが、成功体験として頭に残り、再手術した際にも気持ちに余裕をもって対応できると思っています。
実際、この約2年後ぐらいに逆側も手術するのですが、気持ち的にはかなり余裕をもって当たれたなぁと思っています。
自分でいうのもなんですが、痛みとの付き合い方、術後経過どういう風になっていくか、当時働いていた職場に冷静に伝えられたと思います。
なので、僕は「人工股関節置換術」を選択して良かったと思っています。
ですが、万人に勧めるようなものではないとも思っています。
人それぞれに家庭や仕事の事情はあるでしょう。
その人その人にあった選択をご自身で決断するのが良いと思います。
自分で決断をすれば、後悔は少ないと僕は思いますので。
だからこそ僕は、今後も自分の判断で物事を決断して生きていきたいと思います!
ここまで長文をご覧いただきましてありがとうございました。
これを読んでくださっている人にとって良い1日でありますように。