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ちりつもでようやく気付けた、自分の親が毒親という真実。1

 ども。ジュリアンっす。
 突然ですが、親が入院することになりました。父親の方です。
 現在も入院中ですが、とりあえず命に別状はないようで、一安心です。ほぼ毎日仕事に忙殺されてますが、たまに電話をして具合を聞いたり、励ましたりしてます。

 ……しかし、こういう家族のすわ一大事になると、関わってくるのが、他の親と、きょうだい。
 俺(諸事情で女性ですが一人称を俺と言ってます。イタい人と思うでしょうがご容赦を)は物心ついたときから、両親と姉、そして妹である俺の四人家族で構成された家族で生きてきました。

 その家族の中で、いつもほぼ常に思っていたのが、
「自分はこの家族から浮いている」という事実でした。それが大人になるにつれ、どんどん強くなっていき、数年前に一度爆発し、今は干渉しないようにしてますが、上記の通り父が入院したせいでまたしても関わってくる人たち。
 さすがに父が入院しただろうし、かわいそうだなと思って母親に連絡しても、母は変わってませんでした。
 俺の話は一切聞かない。そして自分の言いたい事、主張したい事だけ言ってきて、電話を切る。
 一人暮らしを始めて長いですが、いつもこんな感じです。

 そう、毒親というのは、母親の話です。
 そして自分はその事実に気づいて、今後どうしたらいいものか足掻いている最中です。
 今回はそんな俺の40年ちょいの生き様、毒からされてきたことと毒が溺愛した姉からされた事、何もしてこなかった父。この家族について話していきます。


1.見捨てられた小学生時代

 俺は15歳以下の記憶を殆ど保持していません。それは15歳、つまり中学卒業まで続いたいじめの経験があるからでした。
 今のいじめはスマホで陰湿ないじめが多かったですが、自分が消防の頃は大体「〇〇菌がきたぞー」とか、自分が近づくと「きたねぇぞ、近寄んな」とか、そういういじめが主でした。
 勿論泣いて帰る事も数知れず。幾度となく親には相談しました。学校に行きたくない、という事も言ったと思います(覚えてませんが)。
 しかし親は両方とも、こう言っただけでした。
「困ったなあ」
 今思うと、困ったって何? ですよね。自分の子供がいじめられているのに、困ったな、ってどういう事って。
 その次に出てきた言葉は、「お前(母)の育て方がなってないからだ」と母を責める父でした。父は大工で、腕っぷしだけで仕事をしているので腕力には勝てず、今ではDVと呼ばれることも割と平気でやってました。何せまだ30代~今の自分と同じ40代で脂がのってる時期でしたからw

 母はそういわれて辛かったんだと思います。そりゃ育て方がなってないなんていわれりゃ腹も立ちますね。
 その頃から、恐らく母は俺の事が嫌いになったんだと思います。どんどん姉を贔屓していき、それは今に至るまで続いていますから。
 そして、両親は困った困ったというだけでアテにならないと思った俺は、それ以降いじめの事は一切親に言わなくなりました。
 そして親と会話することも、ほぼしなくなりました。

 姉は実家を出て現在結婚してますが、それまでは晩御飯の時もそれ以外でも親とよく話し、学校であったことや仕事であった事などなど、色々会話をしてご飯を食べていたものですが、自分は殆ど会話する事はありません。
(だからよく聞き上手だと言われます(笑)
 それについて家を出る前までは、「お前は自分の事を話さないよなあ」と言われたこともありますが、どの口が言うんだと今なら思います(笑)

 そんな小学校高学年になった時でした。
 忘れもしない事です。

 自分が下校中、同級生がからかってきました。例にもれず〇〇菌ーとか言ってたような気がします(笑)。
 自分は反論もせず、黙って耐えて帰り道を歩いていた最中、たまたま自転車で下校中だった中学生の姉が友達と一緒に帰っている場所に遭遇したのでした。
 すると同級生は俺の姉を知っているのか、「あ、〇〇菌の姉だ! ばっちいぞー」
 とか言って敬遠する素振りを見せたのです。その時それを聞いた姉はチャリから降りしな、
「誰が〇〇菌だ! このクソガキ!!」
 と、怒鳴りながら(当時の中学生の制服はスカートが長かったのでスケバンに見えた(笑))同級生と俺に向かって突進してきたのです。
 反撃してきた姉に同級生は逃げるしかありませんでした(笑)
 姉さんが助けてくれたのか、と自分は一瞬喜んだのですが、姉はとんでもないことを言ってきました。

「お前のせいで私がバカにされる! どうにかしろ!!」

 どうにかできるならやってるのに、そんな事言われても。
 助けてくれたと思った姉はぷりぷり怒ってさっさとチャリに戻り、待たせてた友達と楽しく帰っていきました。
 自分はまた、一人とぼとぼ帰るだけでした。

 そして帰ると、先に家に着いていた姉が先ほどの事件を母に語ったのか、母は怒りをにじませながら俺にこういいました。

お前のせいで姉さんが困ってるじゃないか。何とかしなさいよ

 この台詞を言われた瞬間の気持ちは、もう覚えてませんが、母は俺が嫌いだったのだなあと、今思えば本当に、そう思います。
 こんな事言われてもいじめられている当事者は途方にくれますよね。
 だからもう親には何も言わないと、固く誓ったんです。

2.お前は下手だ、姉は上手だ、と言われた絵の世界

 因みに、両親は他所面だけは良いです(笑)
 だから、第三者にあの親は毒でした、なんて言ってもそんな事ないよ、あの人はいい親じゃないか、と言われて終わるのは目に見えてました。
 だから自分は一切親に何も言わず、高校は自分で決め(第一志望が落ちた時は父親にお願いして高校に行かせてもらえた)、大学は落ちたけど専門を滑り止めで受けていたのが功を奏し、学校だけは行かせてもらえました。
 父親はよく何度も何度も、
「俺は姉妹二人とも平等に育てているつもりだ」
 と言ってました。よくそんなことが言えるものだと思います。姉が高校入学の祝いの際は十数万するCDコンポ(ソニー製)をぽーんと買ったのに対し、俺に対しては父方の母親がくれたカビくさい中古の腕時計一つ。
 お小遣いは自営業のため、さすがに優遇だとかはなかったと思います(むしろ今の方が親が姉に小遣いを渡してると思います(笑))が、そういう差を見せつけられる度に、自分は何でこの家にいるんだろう、と何度も何度も思って生きてきました。
 姉と一緒にゲームを遊んでいる時は何も言わないのに、俺が一人でゲームを遊んでいると怒って取り上げ、隠された事も一度や二度ではありません。因みにこれは俺が社会人になって金を稼ぐようになり、自分で買ったゲーム機もやられましたw酷い話です。隠されたゲーム機は捨てたものと思って新たに買いなおしたりもしましたね。

 親は姉のやることや趣味には寛大でした。同人サークル作ることも最初姉がやっていなかったら、多分俺にはやらせていなかったと思います。
 俺も姉も絵を描く才能があって、物心つく頃から姉と俺はチラシの裏側に絵を描いたりするのが日課? となってました。
 どちらかというと姉は模写が上手く、アニメや原作者の絵を忠実に真似た絵を描くのが上手い人でした。だから同人イベントとかでもそれなりに売れてましたし、人気もあったと思います。
 半面、俺は自分の絵で絵を描いている側でした。なので勿論、模写をする姉とは雲泥の差で下手糞でした。
 母親はそんな俺と姉の絵を見比べて、事あるごとに、
「お前(俺)は下手糞だねえ」
「どうして姉と同じように描けないんだい」
「姉さんはこんなに上手いのに」

 と、まぁ例にもれず姉をベタ褒めしてました(笑)。姉は天狗になってどんどん絵を模写していき、同人活動も活発になる‥かと思いきや、
 俺がコミケに出るようになる前後、突然同人活動を辞めてしまいました。それ以来絵を描くこともしなくなりました。
 (中の人は現在も同人活動中です。詳細な事とかは他の記事とか見てくれると嬉しいです!)

 何故あんなに上手いと言われた姉が描けなくなったのか。
 姉は後にこう言ってました。「自分の絵が分からなくなった」と。
 うまいうまいと言われ続け、天狗になっていろんなアニメや漫画作品の模写を描いていました。実際本の売り上げはよかったと思います。
 けど天狗になりすぎたのか、姉はある時、今でも続いている某名探偵少年の二次創作本に手をだし、その頃友達になった人と共同でオフセット本を大量生産し、イベントで売りに出したところ、さっぱり売れなかったそうです(俺はジャンルが違うせいで詳細は知らん)。

 まぁ自分その本読ませてもらいましたけど、模写が上手い姉にしては珍しく楽しんで描いてないな、って伝わってくる本でした。絵に焦りが感じられ、余裕がないのが分かったんです。
 姉はその日から自分の絵が分からなくなって、ぷっつり描くのを止めてしまいました。
 母は何をしたかと言えば、姉をよしよしするだけで、今でも同人やってる俺になんぞ目もくれやしませんでした。

3.出て行けと言われたのは俺だけだった

 社会人として生活続けるにつれ、もちろん家にお金は払ってました。それは姉も同じでした(多分)。
 しかし年々、俺が家にいるのが気に入らないのか、「いい加減この家を出てってくれないか」と言われるようになったのは25歳頃と記憶しています。

 その頃の俺はというと、親友とよべる友達もでき、同人活動も楽しくて絵を描いて交流するのが最も楽しい時期でした。コスプレとかもはじめたりして、色々と活動の幅が広がっていた頃です。
 ゲームも相変わらずやってましたが、PCゲームに手を出した頃もこのあたりで、深夜までやっていると同じ部屋で寝てる姉からうるせぇ! だのさっさと寝ろ! だの言われながらRO(ラグナロクオンライン)をやっていたのを覚えてますw
 深夜までPCゲームしてて、朝起きるのがちょっと遅いと早く起きた姉が母や父に俺が深夜までゲームしてる、とチクったりして、俺の居場所はどんどん減る一方でした。
 起きて階下に降りると、説教の始まり。
 そんな週末が何度かあって、もう家にいるのが辛い一方でした。

 ああ、もちろん、深夜までゲームするのが悪いのは分かってます。でも俺は家にお金もある程度入れてたし、そのことでどうこう言われるのはちょっと戴けなかったですね。姉は自分の部屋(狭い)でねりゃ済む話だったのになあ、と。

 だから29になる前から、自分で部屋を探し始めました。いつかこういう事もあるだろうと、社会人になってから殆ど遊ばず、殆どおしゃれもせず(今思えば馬鹿だったと思うがこれは毒のせいだと思う事にする)、貰っていたお給金は殆ど貯金し、たまーにゲームでお金を使って遊ぶだけ、という生活をしていたせいもあって30手前で貯金は800万程持ってました。家に居ればあともうちょっとで一千万円だったのにな、と思います。まぁ今はもうその倍以上ありますが・・
 そして自分一人で部屋を探し、借りて、保証人だけはお願いして親に書いてもらいました。渋々と言った様子でしたが、俺が家賃を滞納でもしない限り親には何もいかないので、渋る理由は未だに不明ですね。
 そして晴れて一人暮らしを開始した直後。
 めっちゃ解放感に浸ってました(笑)

 因みに、なぜか当てつけのように自分が引っ越す日と同じ日に、姉までも家を出ていきました。これは未だに謎です。あんなに母と父にべったりだった姉が何故俺と同じ日に出て行ったのだろうと。姉は俺みたいに家を出て行けともいわれていなかったのに。
 その後一人暮らしを始めた姉とは何度かどちらかの家で遊んだりしてました。親と一緒に居ない時の姉は嫌いじゃなかったです。もう4年ほど会ってませんけど。

 この後も毒母との付き合いは続くのですが、あまり長いとアレなので今回はここで一度区切ろうと思います。
 この後姉が結婚し、その時にまた色々あるのですが。
 親にされた事、俺の事を理解してもらえなかったことは、自分の人生には割と深い爪を遺しました。わずかな物音にびくっとしたり、鬱病になったり、心の病に陥った時も、両親は何もせず手も差し伸べてはくれませんでした。
 姉には色々と援助をしてきたのにねぇ。(笑)

 そんな胸糞悪い話がまだ続くのですが、この場ですべて吐き捨てていこうと思います。
 母は俺が嫌いだったのはもうはっきり分かってます。自分も母が嫌いです。
 前はこんな事言えませんでしたが、今ははっきり言えます。本人にもそう言ってやりました(笑)
 
 俺は心の病に伏せたこともありますが、不幸ながらもいじめを克服し生き抜いてきた強さがあるせいか、今は鬱病も一時期収束し、穏やかに仕事をしながら生活しています。
 4月から部署が変わったのですが、そこでの仕事はやりがいがあるし、メンバーもいい人たちばかりです。残業はきついですが、それでも前のところよりはずっと楽にできます。
 そういう強みをうまく生かしながら、毒家族との付き合いはまだまだ続くのでしょうが、とりあえず不干渉、無関心を続けたいですね。
 父は退院するまでは電話したりして励ましていこうと思ってます。

 では続きの時に、また。