フラワーエッセンスと私⑦、しんどかった過去を癒す。
久しぶりに、フラワーエッセンスの記事です。
前回は6回目↓雪が降ってたのね。
今の私しか知らない人は驚くと思うが、過去の私は自分が思っていること、感じていることを全く言えなかった。怖くて。
生育歴で、母親が厳しかったというのがある。
自身の持つ本来の性格は、破天荒でぶっ飛んでいて、平均的で無かった。
その部分は幼い頃からあったが周り(大人)からは理解されなかったのだと思う。
母は私を何とか普通の枠に戻そう(戻らないが)と、最大限の努力していた。
塾に通わせ、習い事もさせられたが、何ひとつ続かず(強制的に学ばされる事に反抗した)学校の勉強にも心ときめく魅力を見出す事が出来ず、当時は登校拒否も出来ず、身体が小さいというだけで近所の子供たちに虐められ(鬼ごっこ永遠鬼とか( ; ; ))家に帰れば鬼の形相をした母に「勉強しろ」と言われ(机の前に座って勉強してるフリして絵を描いては叱られた。)
「漫画を読むとバカになる」という母の謎の信念で、テレビの漫画は観せて貰えず、漫画本も滅多に買って貰えず、姉は同い年の友だちと遊ぶのに忙しく、何処にもこころの拠り所が無いまま、ぼんやりと成長していった。
ある日、学校から帰ったら、たまたま家にいた母が私の机の引き出しを開けて点検していた。四年生くらいだった私はそれを見て大きなショックを受けた。自分の中の大切な場所を土足で踏み躙られた気がして傷ついた。
学校ではアウェイ、家では干渉され、どちらに居ても叱られ、安心できる居場所が無かった。
幼いながらに孤独だった。
こういう環境でまともな認知が育つほうが難しい。
私は自分が嫌いになった。居なくなれば良いと思っていた。死ぬことは考えなかったが遠くに行きたいとずっと思っていた。
母は人嫌いで、常に誰かの悪口を言っていたなぁ。私の友だち関係にまで干渉してきた。
母は生きづらかったんだと思う。
母の干渉は私が高校に入ったら突然止んだ。
理由はわからない。
高校生になったという事で安心したのか、年齢的に疲れたのか、どうでも良くなったのか、今でも謎だが、あっけらかんと私は楽になった。(学校生活は部活以外楽じゃなかったが誰にも言わなかった)
18歳になって家を出てからは、自由を味わい、モノクロだった世界はフルカラーになった。
昭和初期に生まれた親に育てられるのは、育てる方も、育てられる方も、昭和の価値観がこびりついて辛い場合が多いと思う。
(もちろんそうで無い人も居るだろう)
わたしは、思ったこと、感じたことを口にしちゃいけない。
誰かを怒らせてはいけない、
自分を出しちゃいけない、
と、思い込み、実行した。(それでもはみ出てたが💦)
親と同じように、周りを恐れていた。
23歳で、好きな人と結婚して仙台に来たが、今度は嫁いびりという試練があった。
何があっても平気なふりして、気持ちを感じない事を選んだ。(人間関係ってそんなものだと思っていた)
反抗的な言葉は口にせず、怒りや悲しみは封印した。
謝れば事は解決すると思ってた。
環境が私のキャパには大変すぎて、自分を省みる事も無く、日々を過ごすのに必死だった。
TVを観る時間も無い。本を読む自分の時間も無い。ひとりになる時間も無い。
どうやって生きていたのか、はっきり思い出せない。
ある日、倒れて鬱病になった。
大きなパニック発作だった。
3回くらい繰り返し、鬱の世界に入っていった。
倒れる前、
何ヶ月か前から手足が震えていた。
神経系がおそらく限界だったのだと思う。
鬱病は10年以上続き、寝たり起きたりしながら何とか生きていた。
この頃の記憶も曖昧である。
息子、特に成長期の次男には、大きなストレスを与えてしまった事が今でも悔やまれる。当時はどうしようもなかった。
その後、
フラワーエッセンスを知り、自身が変化していくプロセスを辿る訳だが、
フラワーエッセンスを知る約2年くらい前から予兆があった。
自分の感覚がどんどん開いていく不思議な体験をしていた。
当時、
長男は自宅から片道40キロ離れた肢体不自由の学校に通学していた。
私はとても体調が悪かったが、頑張って自家用車で送迎していた。
義母はその1年前に自死した。
その事に関しても、私の心は冷え切っていた。
「あ、死んじゃったんだ」
と思うだけで、他には何にも感じなかった。
彼女が何故、死を選んだかは知る由も無いが、義母も、こころに大きな穴が開いていたんだと、今は解る。
ある日、
通学路を運転をしていて、
不思議な感覚に包まれた。
見慣れた景色が美し過ぎるのだ。
空や木々、
流れる景色。
季節は冬で、木々は落葉している。
フロントガラスに舞い落ちる雪の美しさよ。
木々の葉を落とした枝の繊細な美しさに心が震えた。
世の中ってこんなに綺麗だったっけ?
生まれて初めて見る景色のように感じた。
外側の景色は、私の内側に、圧倒的な「美」として迫ってくる。
今まで感じたことがない不思議な感覚。
世界は美しく、息づいている!!と思った。
そして、
自分は死ぬのかもしれないな、と、思った。
それくらい全てが新しく美しかったから。
それから約2年後に、フラワーエッセンスに巡り合う事になるのだが、
今でも、あの時に感じた自然の美しさ、季節の移り変わる空気、自分の中に流れ込んできた恩寵を忘れることは無い。
今になって、
当時、何が起きていたのだろうと天文歴で検証してみると、
水瓶座に海王星が居て、私の月に対角、太陽に合という角度を、時間をかけて取っていた。
「浄化」である。
海王星は、私の中の様々なものを溶かして洗い流した。
淀んだものが強制的にザブザブと洗われ、
様々なこと、
様々な出逢いに恵まれて、
いま、ここに居る。
多くの謎が解けた。
こころもほどけた。
過去はしんどかったが、ここまで来ると辻褄が合う。
人の苦しみを理解出来るスペースも生まれた。
過去の私からは想像出来ない事だ。
人生はそういうものだ、と、思うようになった。
そして、自分が好きになった。
同時に、
「人が好き」と思うようになった。
人のこころ、こころの中の優しさや様々な思い。
自分の人生を大切にできた時、誰かの人生の大切さを同時に学ぶのだと思う。
人にはタイミングがある。
時期がくれば花は咲く。
時がくれば、卵は孵化する。
時間をかけることは
とてもとても大切だと、やっとわかった。
今は、母親がどんな思いで生きていたのか、完全では無いにしろ思いを馳せることが出来る。
彼女がどれ程つらい少女時代を過ごしたか、昭和の女として生きねばならなかった人生は、自己犠牲の連続だったのではないか。
私を叩きながら「ああ!腹が立つ!」を連呼していたのは、
私自身に腹を立てていたのではなく、自分が生きざるを得なかった環境や、関わりのある人たちへの思いも混じっていたのだと思う。
かと言って、小さな子供であった私を叩いていい、というのは大きな間違いだが。
母は、とてもとてもしんどい子供時代を過ごしたのだと、亡くなる2年前に知った。
こうやって、
全部は分からなくても、理解する事でも傷は癒えることがある。
昭和の女は辛い。男もまた違う意味で辛かったであろう。
楽な人生など無いのかもしれない。
母が難病でこの世を去ることになったのも、そんな状況が何割か作用しているように思う。
私に出来ることは、
自身を癒すことだ。
私が私を癒すことで、
時空、空間、この世を超えて、母の魂が癒えていくように思うから。
今の私の手の中には、傷を癒すアイテムがある。知識も、コップに7分目半くらいの愛も、言葉も、差し出す手もある。
自分に扱えない自分を見つけたら、その専門家の所へ行く事も出来る。
扉は、
タイミングが来た時に開き、
その向こうへ、
その向こうへと誘われ、
歩を進めていくたびに、
私は、
より自身の本質に近づけるのだと今は信じている。
フラワーエッセンスは素晴らしい。
誕生から死を超えて、更にその向こうへと繋がる「花の言葉」を通して、日々、朝を迎えていこう、と、
今は思っている。
どんな自分でも良いじゃないか。
否定せず、
比べることも要らなくて、
生きてるだけで良いんだよ。
この世に花が咲いている不思議に感謝。
フラワーエッセンスという花をあげたい。
私が頂いた花を、リレーのように手渡していきたい。
そして、
楽しいこと、生き生きする術を伝えたい。
人生折り返し地点はとうに過ぎてから、今がいい、今がいちばん幸せだと感じるし、見える景色はモノクロじゃなく、フルカラーの上の3Dの世界みたいだよ。