【推し活】こういうのを何ていうのだろう
最近、SNSでこんなつぶやきを書いた。
子どもの頃から、2.5~3次元の人が好きでした。役者さんとか、いろいろ。今の推しもそんなカテゴリーの人です。結婚はしなくてもいいから、恋愛できればと思って、妄想の中で生きています。
それが影響してか、アラフィフになっても未婚女子のままです。私の中ではそれで十分だと思っていました。結婚しても、周りの圧力で自分の人生を作られてしまうくらいなら、自分だけのオリジナリティで生きていきたいと。
その世界は実際に作られています。念じた通りの世界になってます。たとえ、「アラフィフになってもハイスペ男子と結婚できる」と言われても、私にはそういうのはいらないと思ってるところがあるのです。
多分、以前言われた言葉が傷になってるのかもしれません。
それは、数年前のこと。たまたま結婚論が話題になって、「若い男を好きになるなんて頭がおかしいよ。現実を見なさい。あなたの年齢だと売れ残りのおっさんしかいないわよ」と言われました。ここで言う『若い男』は、手が届かない3次元の人のことをさします。アイドルとか、役者さんとか、スポーツ選手とか…実在しても、実際に付き合えるとは限らない人たちのことです。
実際に付き合えるとは限りませんが、当時の私にはそれぐらいわかってるとしか思えませんでした。運命を感じるような人にも出会えませんでしたし、あの頃の推しを恋愛感情並みに持つことは出来なかったから。
だから、その言葉を無視するように生きていました。しかし、自分が結婚するには『売れ残りのおっさんしかいない』という選択肢しかもらえないことに傷つきました。私が私を否定するように、その年代まで結婚できない人はどこかになにかあるせいじゃないかと。
傷を抱えたまま数年も生きていました。
しかし、今の推しに出会ってから人生が変わりました。
相手は結婚もしてるのに、何故か好きになってしまったのです。気がつくと、沼に落ちるような感覚になり、昔みたいな状態に戻ろうとしたのです。
そして、noteを通じて気づいたのです。
――私は、夢女子ではないかと。
そして、フィクトなんとかなのではないかと。
世間の人の言うフィクトなんたら、というのは『2次元キャラクターが好きな人』のことをさします。しかし、私はそういうタイプではなかったのです。どうせなら、リアルに触れることのできる人を好きになりたい。
また、小学校の時に習った「小さな数字」の話を思い出します。1次元は線だけ、2次元は平面だけ、3次元は立体だよって。だから図面の世界である2次元にはハマれないと。
中学の時にはアニメにハマれてましたが、それから先は3次元同人というジャンルに手を出していました。自分でも活動をしていたほどでした。それが20年以上続けていたのですが(ブランクも含めたら)、今更2次元にはハマれないと思っていました。それを考えたら、ストンと今の推しにハマりました。ハマったというより、好きになったのです。
だから、夢女子でもいいやと思ったのです。口外できないけど(苦笑)
そう思えるようになって、自分の中でスッキリしてきました。
以前勤めていた職場で「年齢いくつ?結婚してるよね?(結婚してませんが)え、バツあるの?」と聞かれたこともありました。それが当たり前のような世界だから仕方がないのかもしれません。でも、今はそんなことを言われても無視するようにしています。また、結婚していないことで悪いイメージを与えようとしたり、架空の人物など手の届かない存在の人との恋愛や結婚を否定させるようなことは、かえってよくないなーと思うようになってます。生き方が多様化していることが当たり前になりつつあるから、1つの価値観の押しつけで生き方の枠を当てはめようとするのは、もはや時代遅れのような気がしますから。
私の好きな人は手の届かない存在です。恋愛も、結婚も叶う可能性はゼロです。でも、夢女子なので、頭の中で考えて行けたらいいなと思っています。