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夢を掘り進めた男 青山士の土木哲学
どんな時代も、静かに世界を形作る人がいる。パナマ運河、荒川放水路、信濃川大河津分水路――これら巨大な工事に名を刻み、なおかつ倫理の旗を掲げ続けた男、それが青山士(あおやま あきら)だ。この記事では、彼の人生を通して、技術と信念が交差する物語を描いていく。
静岡の田園から世界の現場へ
東京帝国大学で土木工学を学んだ後、青山は大胆にも単身でアメリカに渡る。この行動力、どこから来たのか?それは内村鑑三の影響による。「後世の人類のために働け」という言葉を胸に、青山は地図すら不確かな地に飛び込んだ。日本人初のパナマ運河技師となるための第一歩だ。
1878年、静岡県磐田市の穏やかな田園風景の中で生を受けた青山士。彼が生まれた家は、豪農として知られる資産家だった。豊かな田畑、季節ごとに実る作物、そして広がる青空——そのすべてが、彼の幼少期を包む日常の風景だった。しかし、この穏やかな田園の空気を吸いながらも、彼の心の中にはいつも外の世界への憧れと好奇心が渦巻いていた。
少年は「目に見えないもの」に魅了されていたという。水の流れ、土の感触、そして風がもたらす変化。地元の自然は、彼の探究心に火をつけた。
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