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そこに、あなたはいない。
クローゼットの中を片付けていたら、使わなくなった古い携帯電話が1台、白い小箱の中から出てきた。
機種を変えるたびにお役御免になった携帯たちは、すでにすべて処分していたのだけれど、この1台だけはどうにも捨てられずに保管してある。
一緒に入っている電源コードに繋いでも、もうきっと起動はしないだろう。それくらい、時間が経ちすぎた。
いままでにも何度か、起動させてみようと思ったことはあるけれど、結局怖くてできなかった。見たら辛くなるのがわかっていた。
***
もう10年以上も経ってしまったとは思えない。
本当に突然に、その人は逝ってしまった。
その1週間前に会った時はとても元気にしていて、いつものように彼は、待ち合わせ場所に優しい笑顔で現れた。
もう一人の友人と3人で、しこたま呑んで馬鹿な話をして笑い合った。帰り際に爽やかに「じゃあまた、来月にでも会おうね。」と軽く手をあげて、私たちと反対方向に歩いていく後ろ姿を今でもはっきり思い出せる。
右肩を下げて、左足を軽く引き摺るように歩く。その後ろ姿を。
とても大切な、かけがえの無い友人だった。親友だった。どんな話でも、いつまででも話していられるような人だった。私の兄と同じ歳で、もう一人のお兄さんのような存在だった。
最後に会ったその日は、3人で盛り上がりすぎて帰りが終電近くになってしまった。
なんとか最終ひとつ前の電車に滑り込んでホッとした瞬間、携帯にメールが届いた。
「遅くなっちゃったけど、大丈夫だったかな?ちゃんと電車に乗れましたか?こんな時間まで付き合わせてしまったので心配になりました。」
それは、その人からの最後のメールになった。
***
あまりに唐突で、まったく心の準備が出来ていなかったから、最後のお別れで顔を見るのがとてつもなく怖かった。見たら本当のことになってしまう、と私の頭が拒否する。
沢山の花に囲まれて眠るその人は、いつもとはまったく違うように見える。こんな人は知らない、と思った。
失うことを想像すらしていなかった人を失くした時、本当に涙など出ないのだ、ということを実感した。曇り空と、集まった人々の白い顔。線香とむせるような花の匂いに父の葬儀を思い出し、ここは寒いな、とだけ思った。
***
何日か経って、ふと思い出して最後のメールをもう一度読んだ。
彼の名前のついたメールボックスが、何だかとても不思議なものに思える。このボックスにもうメールが届くことはないのだなと思った時、初めて彼がいなくなったことを理解できた気がした。
何でだろう。お葬式で彼を見ても理解できなかったのに。
そう思ったら泣いていた。最後の背中が思い出されて、どうして笑顔じゃなくて背中が思い出されるのかと考えて、また泣いた。
もう一度メールを見る。画面の下にある返信ボタンを押してみたいと思った。ボタンを押して私が返す言葉は、もうどこにも届かない。それが何だか不思議だった。
ここに、画面の中に彼の言葉があるのに、彼がそこにいるように思えるのに。
その向こうに、もうあなたはいないのだ。
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