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歩いた、感じた、食べた、ぼーっとした-その2 白瀧さんにお会いしておぼえる感情。感動。涙。

ナビゲーターの方とわかれ、三日目は、那智大社をめざす。
熊野もそうだけれど、とのことで、ほんとうのいわゆる「パワーのあるスポット」はひっそりとした佇まいの場所にあり、そこに大挙として人が訪れるのを避けるかのごとく、近くに目立つ、華やかな神社を配置することがあるときいた。
那智大社ももしかしたら「華やかな」の部類にはいるのかも、と想像する。
連休だったこともあり、外国からも日本国内からも多くの観光客がいらしていた。もちろんわたしも、その一人だ。

華やか、といえども、登り口からはひたすらなだらかな登り斜面が続いていく。お子さんがかけぬけていったり、若い人がおしゃべりしながら歩いていったりするなか、わたしはえっちらおっちらゆっくりと一歩ずつ踏み締め踏み締め登っていく。ふーしんど、と思う。
ナビゲーターの方は飛龍(ひろう?といっていたかな)神社、という言葉を口にされていた。それがどこのことを意味するのかよくわかっていなかったけれど。
いったん、那智大社をのぼりきり降りてきたところにあるお茶屋さんで一服してそこからバスで帰るか、もう少し足を伸ばしてそこまで行くか、というようなことを言っていたな。

そんなことをつらつら思いつつ、お茶屋さんは一旦横目でみて、さらに降り道が続く道をゆく。どうやらこの先に、瀧があるらしい。
那智大社で眺めた、あの那智の大滝なんだろうか。よくわからないまま歩いていく。

降りていくのもゆっくりもったりしながら。
ひたすらに、フィトンチッドを全身にあびつつ、ふーと思いつつ進む。
ほどなく、やはり那智の滝に到達。そこは「飛瀧神社」と書かれていた。ナビ彼女はここのことを言っていたのね。那智の大滝は、別名?飛龍神社なのかな。

瀧がほんとうにまじかにのぞめる。
うつくしい、はげしい、清廉な、いさぎよい、淡々とした・・・どう言い表したらよいかわからない。とにかく、ずっと眺めていたくなる。
眺めているうちに、胸のなかに沸き起こる感情がある。それがなんなのかはわからない。涙がでてくる。ひたすら言葉もなく感動しているということなのか、自分。

ここでもしばらく清らかな空気をあびながら、その場にひたる。

そこにいながら、ありがとうという気持ちでいっぱいになる。
熊野では、そう、ずっとありがとうという気持ちが胸のなかに湧いていた。

なにに対してなんだろう。
たどりつけて、熊野古道を歩けている自分でいさせてくれることへの感謝なのかもしれないな。


白い瀧。飛龍神社


とてもほっとする石。尊い方なのだけどそっと寄り添ってくださっている感じ

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