マインドフルネスと猫のいる生活 24
年を取れば取るほど、時間が早く過ぎるような気がするのはなぜでしょうか?
わたしが「もう年だな」と感じ始めたのは、23歳の時からでした。22歳はギリギリ若者(子ども)で、これからは社会人(大人)として生きていかねばならんのだ、と、ちょっと嬉しいような、怖いような、寂しいような気分になったことを、よく覚えています。
そして、あれよあれよという間に25歳になり、巷では「25歳は女の肌の曲がり角」などというコスメの宣伝文句が流れていて、女ではないのですが、何やら焦った気分になりました。
「わたしは、にじゅうご~♪ 今日からにじゅうご~🎵 女の花開く~ マダムジュジュE~♪」
などという小林製薬のコマーシャルを観るにつけ「そうか~。女性は25でもうマダムなのか~」などと感慨ひとしおでした。
「ってことは男は25で、りっぱなオッサンなのだな。女子高生から、オジサン呼ばわりされるのは、当たり前なのだな」
と納得しましたね。
それからは雪崩を打つように、年を取りました。えっ? もう29??? もう35!!??? もう40うううううっ!!
ってな感じですね。皆さんも経験あるんじゃないですか?
0歳から10歳までの十年間より、10歳から20歳までの十年間の方が短く、20歳から30歳までの十年間はもっと短く、30歳から40歳までの十年間はもっともっと短く感じたりはしませんでしたか?
これは実は、当たり前のことなのです。
例えば、二歳児にとっての一年間は、人生の二分の一、半分です。人生の半分なんて、長いですね。しかし、二十歳にとっての一年は、二十分の一。短くなりました。四十歳にとっての一年は、四十分の一。さらに短くなりました。
こんな具合に、年を食えば食うほど、時は早く流れるように感じるのです。
だから、もう若くない人は(若い人も無論)、過去よりも未来よりも「今」を大切に生きるべきではないでしょうか。
瞑想をしていると、過去に起きた嫌なこと、将来に対する不安などが、軽減されます。
小さな子どもは、トラウマや将来不安など一切感じることなく「今」を生きています。庭に蝶々が飛んでいたら、無心で追いかけ、ごはんをおいしく食べ、不眠症やストレスに苛まれることなく、ぐっすり眠ることができます。
限りなくこの状態に近づけることができるのが、瞑想の凄いところなのだと思います。
さて、今回は瞑想により近視が治ったことの続きでしたね。
そう、近視が治ったんですよ。気功師の「気」をyoutubeで受けただけで。自分では「近眼よ、治れ!」なんて念じたことはありません。ただ気を送っていただく間、瞑想による変性意識状態にいただけです。それもたった五分だけ。
そればかりか、子どもの頃より悩まされ、三回手術しても目立った改善のなかった複視(斜視)も、ほぼ九割方治ったのです!
これは気功師さんの気の力ではないでしょう。youtuber気功師の彼は、わたしが複視を抱えていることなど一切知らないはずですから。
複視は白目の筋肉の長さが、左右の目で不揃いなため起こります。「気」力により、筋肉が伸びたり縮んだりしたのでしょうか? なんだか物理法則を無視しているようで、ちょっと怖いですね。
で、これを契機に気功の威力とか、世に言う「引き寄せの法則」みたいなものも調べてみました。同じような瞑想をしているのに、お坊さんや、気功師、ヒーラー、コーチなどの考え方は微妙に異なるようですね。
実に興味深いです。( *´艸`)
次回からは、この辺りを考察して行こうと思います。