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『Little forest』感想

地に足をつけて生きる、ということがずっとできなくて、どこか地面から少し浮いていて、心許ない様子のまま、どこにも根ざせずに生きてきた。
主人公も、どこか浮いている心地だったのかもしれない。
自分が生まれ育ち、母親と二人で生きてきた東北の山奥の集落。
ここで生きていくという覚悟もなく、一度街へ出てみたけれど、そこに居場所を見つけることもできず、結局生まれ育った、今はもう誰もいない家に、戻ってくるしかなかった。そこで一人、野菜を育て、肉を捌き、魚を釣り、山菜や山の実を摂り、自給自足で生きている。
食材から季節を感じ、季節の味を全身で味わい生きる生活は、「地に足がついている」ように見える。けれど、「逃げてきた」という意識が強く、「ここで生きる」という覚悟もない主人公は、どこか世界から浮いているような心地をしている。
ゆっくり、時間をかけて、大地の恵み、山の恵みを味わうことで、「地に足をつける」力を蓄えていたのかもしれない。
季節をなぞりながら生きていると、母と過ごしていた同じ季節のことを思い出す。主人公が高校生の頃、突然家から出て行ってしまった母親。母がどういう人だったのか、何を考えながら生きていたのか、出て行ってしまった母と向き合うことも「地に足をつける」ために必要なことだったのかもしれない。もしかしたら母も、地面から少し浮いたまま、心許ないまま生きていたのかもしれない。

季節の野菜の育て方、育てた野菜のおいしい食べ方、パンやケーキの焼き方、薪ストーブの魅力、暮らしが豊かになるような、丁寧に生きるためのヒントがたくさん収められていた。丁寧に生きるとは何か。
主人公は、野菜炒めばかり作る母に
「また炒めものだけ?もっとひと手間かけた料理しようよ」
とぼやいていた。けれど、自分が料理をするようになってから、母の作る炒めもののような食感にはどうしてもならなくて、様々試行錯誤してある日答えに辿り着いた。
「青菜のスジを取る」
このひと手間で食感が全く変わるらしい。
あの頃、母はちゃんとひと手間かけていたのだということも同時に気づく。
青菜のスジ取りはなかなかに手間だ。こういうことも「丁寧に生きる」ことのひとつなのだと思う。

こんな風に、丁寧に生きてみたいと思う反面、もう都会の面白さにどっぷり浸かっている私は、ここから逃れることはできない、とも思う。
季節の食材を食べるだけで生き続けることはできない。
それでも、少しずつ取り入れてみることはできる。
キャベツのかき揚げを食べてみたい。野菜で作る二色のケーキもおいしそう。

劇伴はずっと良い。作品に似合う、軽やかだったり落ち着いていたり、心が和む音で作られた音楽。
映像も常に自然豊か。「大自然」を過度に「美しいもの」とするのではなく、「共存するもの」として親しみを感じるように撮影されていたと思う。「自然の過酷さ」も強調されてはいなかったけれど。
野生の雉が歩いている姿を初めて見た。動物園か剥製でしか見たことがなかったので、「野生の雉っているんだ!」と思ってしまった。雉が野山を歩く姿は、自然を「美しい」と思うのに十分だと思う。

またひとつ、お手本となる作品が増えてうれしい。
野菜や食べ物の素材の味を味わうことが上手な人や作品は
いつも私のお手本。

『リトル・フォレスト』
監督 森淳一
主演 橋本愛
夏秋編 2014年公開
冬春編 2015年公開

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