『ワンルームから宇宙をのぞく』感想
静かに世の中に絶望している人だった。
絶望を「この世の終わり」として抱くのではなく、「常にあるもの」として並走しながら生きている。
全く同じではないだろうけれど、わたしもこの感覚で生きている。世の中この感覚を持っている人は多いのではないか、他にもいるのではないかと思う。
そして無気力のまま生きている人も多いのだろうと思うけれど、そのまま生き続けるのでは辛すぎるから、望遠鏡を覗いて宇宙の遠くの星を観るように希望を見つけて生きている。
この本はそういう絶望と希望の繰り返しを冷静に見つめている。絶望や希望の大きさは分からない。感じ方は人それぞれだし、その人と同じようには受け取れないかもしれないし、自分と同じようには感じてもらえないかもしれない。だから、この著者の絶望も希望もどれほどのものかは分からない。
ただ、冷静に毎日絶望して希望を観て絶望して…と繰り返して生きている。
その日々の中で見つけたものが、この本を手に取った人の灯りになればいいなと思う。ほわんと足元を照らしてくれるような灯り。
僅かだけれど、太陽の光は物理的にも物質を押しているらしい。宇宙空間ではその力でも燃料節約になるくらいの力らしい。
これまでたくさんの言葉に背中を押してもらった。自分の力だけで踏み出す一歩より、ほんの少し大きな一歩で歩けるようにしてもらった。それが少しずつ大きくなって、遠くまであるけるようになって、今まで生きてこられた。そういう言葉がたくさんある。
著者は言葉の力を信じている。ふんわり背中を押すような、時に自分を誰かを抱きしめて慰めるような文章を紡いでいる。
それでも宇宙に希望を持って、生きることの希望を見つけて、絶望と隣り合わせて生きている。
戦うフィールドは違うし、世の中への影響力も全く違うけれど、同じように絶望と隣り合って生きている。同じように生きている人がいるのだと思うと、手を繋けだような気持ちになる。
この本からは「宇宙や科学をみんな好きになってくれるといいな」という思いも伝わってくる。
著者が数式などをとても面白く思っていることも伝わってくる。
ひとつ驚いたのは、著者は数式が映像で見えるそうだ。逆に文章は映像では見えないそうだ。
私は文章は映像で見えるけれど数式は動いてはくれない。高校の時、数学は得意な方だったけれど、動いてくれることはなかった。数式が映像として見えるような世界なら、数式を美しく思う感覚も分かったのでしょうか。「美しい数式」を感じてみたいと憧れたこともあったので、映像にもなることに驚いた。ほんとうにいろんな人がいるな。
太陽からの光線の光子のように、背中を押してもらえるような、心が和らぐような言葉で作られた本です。絶望と一緒に生きる人に届いたらいいなと願います。
この記事が参加している募集
頂いた応援は執筆の励みにさせて頂きます。