言葉に含まれる意味を考えたいと思う
「エポック」という言葉を知ったのは『違国日記』で槙生ちゃんの友人の醍醐が、朝が槙生ちゃんのところに来てから初めて遊びに来た日の帰り際に、槙生ちゃんへ言ったセリフ
を読んだ時だ。当時その言葉を知らなかった私は、すぐに意味を調べた。
と出てくる。当時は「変革の時」そういう意味合いだということを言いたいのかと解釈した。
しかし、今、『ベル・エポックー美しき時代ーパリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に』という展覧会を見つけ、「あの"エポック"はこの"エポック"だったのかも…?」と思い至りました。そしてまた「ベル・エポック」を調べると
とある。つまり、「大正ロマン」や「昭和レトロ」のようなことかな。「エポック」と称される時代。それは、世界史や美術史では当然周知されている言葉なのかもしれない。地球科学の中での「カンブリア紀」や「デポン紀」のようなものかもしれない。
美術史にも世界史にも疎いわたしは「ベル・エポック」という時代も「エポック」という言葉も知らなかった。展覧会を観に行けば、少しはあのセリフの理解が深まるだろうか、と、展覧会へ興味を持ったのでした。
そして、タイミングが合ったので、行って参りました。
絵画には疎く、有名どころしか名前を知らないし、知っていても作品と一致しない場合も多いのですが、ルノワールの作品には惹かれるものがあるようで、「あ、この絵いいな」と思うと大体ルノワールだったりする。なのでルノワールの絵をじっくり観てみたいとも思っていた。
今回願ったりで、ルノワールは2点展示されていた。
《ジャンヌ・ボドーの肖像》と《帽子を被った二人の少女》
「やっぱり色彩好きだな」と思った。
それから絵画だけではなく衣服や家具、書籍、雑誌の挿絵なども展示されていた。
エミール・ガレの名前と作品が初めて一致した。ガラス工芸家だったんですね。
展示作品には映像作品もあった。
オペラと影絵の《星への歩み》《聖アントワーヌの誘惑》。オペラに合わせて字幕が付けられていたので、見入ってしまった。当時を生きた人の哀しみと祈り。それは今の時代でも通ずるものがあるし、変わっていないことも悲しく思う。
展示のラスト、ピアノ演奏が聴こえ、壁に楽譜と楽譜下部に物語の字幕付き映像が映し出されていた。楽譜を良く見れば「Erik SATIE」の文字が…。エリック・サティもこの時代に生きた人だったのか…と感慨深くピアノの演奏を聴けば、曲は映し出されている楽譜通り。楽譜下部の字幕はその曲が表している情景だった。常々音楽家の「音で語る/語り合う」ことを羨ましく思っていて、「音で会話する」感覚を知りたいと思っている。
映像は、その感覚を少しだけ理解できる仕様になっていた。こういう状況を、こういう音で/リズムで見えているんだ、と。ネズミが猫から逃げるシーンは、低音から高音まで一気に駆け上がる、など。面白い!と思った。こんな風に音が聴こえたら、こんな風に世界が見えたら、面白いだろうなと、やっぱり羨ましく思った。
美術館でサティの曲が展示されているとは思わなかった。楽譜と字幕どちらも追うのは至難の業でしたが、良き出会いでした。
ショップではルノワール《花のある静物》とスタンラン《ヴァンジャンヌの殺菌牛乳》のアートパネルをお迎えしてきました。飾るのが楽しみ。今回改めてルノワールを好きだなと感じたので、そのうち画集などを求めたいと思います。
そして、肝心の「エポック」ですが、展示第2章の説明にヒントがある気がしました。
「ジャンルを越えての融合」
槙生ちゃんと朝。
今まで槙生ちゃんの生活には一切なかった類の刺激を与える存在である朝と関わること、それは「ジャンルを越えた融合」に似ている。
だから、2人の出会いは「エポック」なのだ。
槙生ちゃんと醍醐、2人の間でどんな意味合いの「エポック」に出会ってきたのかで、作中のセリフに含まれている意味は変わる。一読者の身ではそこまでの共有は出来ない。でも、もしかしたら、こんな意味が込められているのかもと、想像を膨らませることはできる。全く同じではないけれど、2人の間にある「エポック」の意味を、それと同じように様々な作品にある言葉の意味を、より深度の深いところで理解できるようになりたいと思う。
『ベル・エポックー美しき時代ーパリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に』
こちらは現在、パナソニック汐留美術館で開催中です。良き展覧会でした。
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