ハンセン病療養者の短詩を読む ⑥肉親への思い ―訪いゆく時はなけれども―
ハンセン病患者たちは、肉親の元を離れて、あるいは強制的に離れさせられて、療養所に暮らした。
そのあとの肉親との関係は、必ずしも良い関係とは限らなかった。
患者の肉親であることで、世間の差別を受けたからだ。
患者の側も親族の状況を察するが、察しても思いが消えるものではなかった。
逢ひに来し母と蛙の闇に泣く 片山爽水
母とともに泣く。親子の絆であるが、苦しい絆だ。蛙の闇は、蛙の声のひびく闇だ。たくさんの蛙の声に囲まれて、一組の親子が泣いている。
父もあり母もある子が癩院にひとり死にゆくその名を呼びて 菊澤雅晴
父母は死に際になっても来ない。来られない。
子は、来てくれない父母を呼びながら死んでいく。それを見ているのは、父母ではない患者たちだ。
病むわれの訪いゆく時はなけれども兄の住所をノートに記す 野崎一幸
兄を訪ねることはない。訪ねれば、兄はハンセン病患者の兄として見られるからである。尋ねないのだが、それでも兄の住所は記しておく。
病みすじと幼時いたぶられ早死にし弟妹化けこよ逢魔が時ぞ 斎木創
弟・妹が、病みすじとしていたぶられた。一首からは弟・妹も患者であったかどうかは断定できないが、病んだ者の血筋ということであろうか。その結果彼らは死んだ。化けて出る者の目的は明るいいたずらではないように思える。恨みを晴らす。それもあろうが、生きられなかった人生を取り戻すようによみがえるのだ。
亡き母の遺品の櫛は麻痺したる手に持ちやすし髪をすきをり 木野久子
麻痺した手に持ちやすいというが、櫛によって変わるものであろうか。そういうことではないと思う。形見の櫛が、たまたま麻痺した手に持ちやすいものであることを、母のありがたみのように思う。麻痺の手に持って髪をすけば、そのために持ちやすく作られた櫛である。
幼くて癩病む謂れ問ひつめて母を泣かせし夜の天の河 滝田十和男
誰にとっても、なぜ自分がハンセン病患者なのかを納得することはできない。まだ幼い子供のころ、「なぜ」と母に問うた。母には答えるすべがないが、問い続けることしかできない。小さな子供が母を見上げる。見上げた母の上空には天の河。それが子供の記憶に残った。
作品はすべて、『訴歌 あなたはきっと橋を渡って来てくれる』阿部正子・編、皓星社より引用した。
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