星が降る。生きている。
石垣島の白保海岸で、満天の星空を見た。
この星空が海の上に、球体の天井を覆うように360°広がっていた。ズームレンズの広角側24mmではとても収まりきらない、大パノラマ。
まるで、真っ黒な布にきらきらのラメをサラサラと振ったみたいだ。
30分も眺めていれば、流れ星がひとつふたつ、みっつと流れていく。
今にも星が、ぽとんと落っこちてきそう。
「星が降る」とはよくいったものだ。
サンゴ礁の海は、波音がやさしい。大きな波は沖合のリーフで砕けて、浜辺にはごく小さな波が打ち寄せる。だから、サアッと小さく鳴る。
波の音を聴き、海風を頬に感じ、こぼれ落ちそうな星空を眺めているうちに、自分が森羅万象の一部に溶け合ったような感覚になってくる。
そして、自分の意志でコントロールできる範疇よりもずっと大きな輪のなかに、生かされているのだということを思い出す。
無数にある星のなかで地球に生まれ、さまざまなめぐり合わせのなかで今ここに導かれてきたというのは、何と不思議なことだろう。
生きていると、とても苦しくてすべてを投げ出してしまいたくなることも、自分の存在価値がわからなくなりそうなこともある。そういう思いをしている人に出会うこともある。
でも事実として、今ここに生きている。
生きているということは、存在を肯定されているということだ。
人間がひねり出すどんな理屈よりも圧倒的に説得力がある、自然からのメッセージだった。
私はあなたで、あなたは私で、みんな、自然の一部として生かされている。
大事にしよう、と思った。
自分のいのちも、ほかの誰かのいのちも。
「私が私でよかった」「あなたがあなたでよかった」と感じて、存在をまるごと抱きしめられる自分でありたいと思う。
それができなくなったら、また白保へ星空を見に来よう。
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平原綾香さんが歌っているのは、これに近いメッセージのような気がする。