【心の詩歌】【公開記事】短歌と表記 漢字と平仮名
短歌において、漢字と平仮名はバランスが取れているべきでしょうか。
私はよく、あなたの短歌はバランスが取れていると言われます。
だいたいにおいて、外来語はカタカナ、漢字熟語は熟語、和語は選択の余地ありとしておけば、バランスを整えるのは実に簡単、かんたん。
でも、それが短歌の重要な腕前というわけではない。
もう少し実際的な話をしますと、明治の小説などを読むとやたら漢字が使ってあります。しかし、それが内容の印象を大きく変えるかといえばそんなことはありません。その頃は、こういう表記だったんだなあ。そう思いながら慣れます。
字面は、大事ではあるかもしれませんが、目に見えるものであるがゆえに、詩人・歌人は言われなくてもこだわります。うまくなります。
詩想自体のレベルを上げることは難しい。
レベルという考え方を超えるような、唯一無二の内容を考えることは、さらに難しい。
「ルッキズム」、という、見た目に左右されすぎることを指す言い回しがありますが、自分が自作に対するルッキズムを発揮していないか。
自作の見た目をよくすることに、血道を上げすぎていないか。
このように批判的に考えてはいますが、私自身どうしても整えてしまいます。
なかなか克服できない課題です。
(この記事は、マガジン「心の詩歌」の月初無料記事です。「心の詩歌」は、詩や短歌の紹介、社会問題、哲学などを題材としています。)
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