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【心の詩歌】写生の意義 現実は美しくないのに

短歌において、「写生」はどういう意義を持つでしょうか。

この文章を読んでいる方は詩歌に関心があると思いますが、一般的には「写生」と言えばまずは絵画の用語です。
辞書では「実際の景色、事物などを見たままに絵に写し取ること」「自然や事物を実際に見たままに描くこと」と説明されています。
説明の冒頭に「景色」「自然」が登場する用語です。
対象が美しいということが前提になっています。

私達は美しい景色、美しい自然に出会うと感動して「短歌にしたい」と思うことがあります。
感動を言葉にするのが詩の機能だからです。
一方で、私達は感動を言葉にしようとするあまり、現実の美しくない部分を忘れがちです。
現実を詠むことも大切です。

どちらも大事ですし、好きな方をやればいいのですが、ここには一つ妙なねじれがあります。

「感動を言語化する」
「現実を言語化する」

二つの方向性のうち、「自然」「景色」があらかじめ「感動」を含みやすい点を考えますと、一般的用法では写生は前者「感動の言語化」です。
短歌で「写生」と聞けば花や景色を思い浮かべます。

しかし文字上の意味としては「現実の言語化」が「写生」に近い。現実をそのまま写す方が写生的とも言えます。

短歌は美しいものです。
一方で、美しくないものをそのまま描くこともまた、短歌の機能です。

日々の生活を、美化せずにありのままに描きたいと考える人にとって、写生は抵抗の手段です。

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