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満
お金を払って何でも話せる他人を合法で手にする方法。今時色々あるけれど、メンタルクリニックなんてその最たるものではないかと思う。処方通りに飲んだり飲み忘れて希死念慮に囚われたりしながら、それらの報告をめんどくさがって、結構大丈夫ですとこたえている自分がいる。私は人に対して素直になれないとか強がってしまうとか思っていたけれど、単にちゃんと関わることをめんどくさがってしまうだけかもしれない、と思った。
多忙な日々だけど多分安定も充実もそれなりにしていて、そういうわけで一切文章が出てこない。健全なのに文を書きたい欲が満たされなくて不健全みたいな歪さを抱える。このまま歳取るの嫌だな~ときっと親も祖父母も思っていたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。最もわかり合えない最初の他人が親だと思う。
ちゃんとした自我が芽生えたのはずいぶん最近な気がする。それまでは悪い意味で無垢で、されてきたことの酷さを自覚できなかった。自覚しない方が幸せだったと思うし実際今フラッシュバックで苦しいけれど、でもそうやって人権とか尊厳とかそういうものに近い何かを奪われるよりマシだなぁと思った。
自分の中心を自分以外にすると、何も自分で決めなくて良いから楽なんだと思うし、そこから脱することはとても痛いことだと思う。
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今週乗りきったので先日から溜まっていた牛丼欲を満たすことにした。結果舌先を火傷している。ご褒美がご褒美になりきらないときもあるよねという気持ちになりました。受け入れざるを得ない。
それはそれとして、久しぶりにきちんと食べたいものを食べたので満足感は強かった。生きている。
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底抜けに明るいことやポジティブなことだけを言う人のことをどこか信じることができない。どちらも確かに大事なことだけど、それだけでは生きていけない。その裏にあるはずだと暗さを嗅ぎ回ってしまう自分の醜悪さを見ていられなくなりもする。自分にない明るさに元気を貰うこともあるけれど、星を眺めたいときに限って白夜なんてなんだか落ち着かない。
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季節を感じることが季節のイベントからソシャゲのイベントになって、今では自然の移ろいからしか感じなくなった。ゲームは好きだけどすぐに飽きてしまう。大抵のソシャゲは結果が極論ガチャの運まかせになってくるから、現実逃避のためにやっていることから現実を見たくない。ずっと甘えて生きていたいとたまに思う。今だって十分甘えてばかりだけれど、それにしたって辛いことは重なるし、しんどいことはしんどいまま、自分のキャパシティが突然増えるわけでもないし。
何語ともない日々を送っている訳で、平凡なことを書き連ねてみました。メンタルのバランスが崩れがちな時期ですけど、(常にそうかもしれないけれど、)ゆるくしかし凛とやっていきましょうね。瑞々しさとかパワーとか、満ちたい。ではまた。