赤ん坊の時に、自由に空を舞えたころには目の前のお母さん、お父さん、お母さんのお兄さん、お父さんの大叔母さん、親戚の人はあまり愛想がよくなかったと後から母に聞いたけれど、その頃は誰もの顔が平等に見えた。 みな鼻と口があり、目がふたつ、手と足があり、鼻の穴、口を動かすと音が破裂する、私から見えた動きはそんな感じだったはず。それらのリズミカルを、人と感じて、選り分けていたのん。今は懐かしむほどぺったり残っている記憶の部分が少なく、兄に時折会うと聞かれる質問から、習い事を行かなく
いつまで眠ったふりを いつまで「ていねいに」話し続けるつもりを 選り分けるでもなく 靡いた面影の 筆跡で書き上げた原本が読みたいのに もう何かを否定することで自分を測る行為をやめにする 「むしろどんな名前も、すっかり忘れてしまったことにしたほうが、ずっと正しいのではあるまいか」 はい?正しいこと とは、 わたしの声の代わりには全くならない そうしたつめたさを、肌で撫でていたでしょうあなたは 極めて棘だった藪を駆けていった 人差し指は赤ぎれ、痛みになる前にここを去るだけ 憐
こんな こんなところでわたしは歩いている? だから もとよりみよりはさがさない こたえるてらいもなかった なにかに なにかにしゅうちゅうすることが うまくできない じぶんはせいぎょするものではないから じゆうにあるいたらいい けど あちらのけしきも わたしのいちぶであったからどうしたら いい あなたににたひとをみたことがある ふたごではなかったけれど おおよそそのようなすがたかたちをして べんちにすわるおとこをくどいていた やまのてせんで あるひとえきをさかいに けしきは
「これは、私の持ち物ですか」「これは、私が持ってきたものでしょうか」順々にすれ違った友人に聞いたけれど、「そうです」、頷く者。首をかしげて何も言わずに視線を逸らし過ぎていく者。峠を抜けたらわずかな下り坂だけかと思えば、トラックの運転手は大きな裂け目の横をぐんぐんと進む。霧雨が降っているからか向かいに見える山なみが荘厳な渓谷にも見えたりして。隣で寝息を立てずに目をつむる妹が昨夜見た夢ってなんでした? 今は道に転がる小さな石を踏んでしまったためにタイヤが破裂してしまって、それら
電車から降りると鳥が群になって飛んでいて、寂しくなった。「寂しくなった」と書く度にその白々しさに毎回あっけなく諭されるのだが、ともなくここでは水鳥が高く鳴く。そして、近くの区営公園で横たわって死んでいたりする。次の日に通るとそれはもう片付けられていて、昨夜のあの湿った羽を横たえた黒く重たい容(うつわ)はどこに行ったのだろうと思い、しばらくすると犬が行き来する遊歩道に戻っていく。 国道沿いは絶え間なく車体が暴力な音を立て走っていくけど、覚えている景色などほぼ無いだろう、記憶はお
ここに窪みがあって、なだらかな所をなぞると 顎を傾け、声を発する 鎖骨のかたちを覚えたのは理想的だった 後ろ背を撫でて 手は震えたまま 元に戻ればいいよ、と抱えて丸くなる 魔力みたいなもので、少し前まで比喩を使いたがらなかった時間を見つめる。蝉の千切れた羽根をみて、それに群がる蟻をみて、反対車線にある動物病院の犬の動き。人の血管をありありと見て、それが自分と呼応するように向かい合っていたことに感動もした。し、底が決まっている空気の無意味さも同時に感じた。 豆乳を飲む、 思っ