私は自分のことを語ること、自己開示が大の苦手だ。恥ずかしさや、私を受け入れてもらえなかったときの恐怖心がいつも頭をぐるぐる渦巻いているからだ。 こうして筆をとっている今も恥ずかしさや恐怖心が込み上げてくるのだが、それでもこの記事を書き上げたいと思ったのは自分を愛することを教えてくれたBTSのおかげだ。 私が彼らと出会ったのは彼らがStay Goldをリリースしたときだった。このときはまだ彼らの顔と名前が一致しておらず、ただStay Goldのファンであり、ファンとい
週末。 何の用事もない土日は久しぶりだったので思いっきりぐうたらした土曜日。お昼まで寝て、多少罪悪感が出てきたところで食料を調達にスーパーへ。大好きないちごが出迎えてくれるところがこのスーパーの好きなところ。まごうことなくいちごをかごへ入れる。愛知県産のべにほっぺにした。いちご好きを公言しているにも関わらず、いちごの品種には一向に詳しくなれない。今年は色んな品種を食べくらべしてみようか。 春野菜もちらほら見かけるようになる。気持ちが爽やかになる。必要なものを買い入れ、
以前からウキウキしていた大事なイベントのために早めの起床。休日は平気でお昼まで寝てしまうタチだが、今日だけは嬉々として目が覚めた。早起きが気持ちがいいのか、イベントに思いを馳せ、気分がいいのか。早起きの良さはもう30年も理解できていないので多分後者だろう。 母とデパートのバレンタインの催事場へ。お目当てのものはこれだ。いつもキラキラしているデパートがより一層キラキラして見える。その上甘い香りに包まれる。至福。 特に狙っていたチョコレートがあった訳ではないのだが試食させ
取引先からありがたいことにカレンダーや手帳をたくさんいただく。それはもう両手に抱えきれない量で、家がいくつあったらこのカレンダーを貼り切れるんだと思うほどである。 世界の絶景や可愛いキャラクターたちが綺麗に印刷されたカレンダーを泣く泣く処分しなくてはならず、今年はカレンダーの切れ端たちをスクラップして事務所に貼ろうかと考えていた。 処分されるカレンダーの費用のことを思っては涙が出そうになる。もったいない。日本中で処分されるカレンダーの金額を考えると叙々苑何回分になるん
自分にスパルタ過ぎて笑えるときがある。 先日、飲み会でとても嫌なことがあった。飲み会に参加してた後輩は「人をイジる癖」があり、その日は私がターゲットだった。ちょうどアメリカ駐在が決まった後輩だったから誰かをいじっていないと不安を消化できないんだろうなと思って静観していた。でもまあその日は度が過ぎていて。その後輩と飲むのが最後じゃなければそそくさと帰っていたと思う。この場にいたくないと思えるほどだった。 私は何も言っていないけどどんどん話が進んでいく。 「こいつ(私
私の取り柄ってなんだろうといつも考える。 人にあなたができることって何?と聞かれた場面に答えられなくて黙り込んだことがある。 他人にはなくて自分にあるものって何? お世辞や謙遜ではなくて周りと比較して特出した能力、才能はないと思う。 人からいいところなんて言われたことがない。 じゃあどうしようか。 今から突出したスキルを身につけようか、なんてアラサーの私がすぐにできることは少なくて。 コツコツと頑張ってきた結果がきっと周りの人の武器になっていると思う。こんな惨
伊達に歳をとってないな、と思うことが増えた。 歳をとって若さがなくなるのは怖いけど、尖っていたところが丸くなっていく感覚がある。 怒りの感情を引き摺るのがしんどくなったり。 相手は相手、私は私、と思えるようになった。 休むことも大事と思えるようになった。 1番のビッグ変化は いつでも自分を理解しようと、1番の味方でいようと思えるようになった。 みんな当たり前にできていることなのかもしれないけど、自己肯定感が低くてプライドの高い私にとっては革命的なのです。
人の嫌なところが見えてしまったとき、どう対処すればいいかわからなくなった。 いいところに目を向けたらいいのに、いいところが全く思い浮かばなくなった。あんなに仲良かったのに急に話したくなくなった。 こんなゼロかイチの思考なんてやめてしまえば楽なのに。 ネガティブなことを考えれば考えるほど気分は下がっていくし、こんな気持ちを手放した方が楽だってわかっているのに、なんでここまでネガティブな気持ちにこだわるのか。 答えは「執着」。 どこかで自分は嫌な気持ちになりたがって
30歳を迎えるにあたって過去を振り返ることがある。 最近2.3年前に占いへ行ったときの録音データを聞いた。 久しぶりに聞くとめちゃくちゃ面白かった。大抵恋愛のことを占ってもらっているのだが、その当時のお相手のことを今の私は思い出せないのだ。(笑) 記憶力が悪いのかと心配になったが、切り替えが早いということにしておこう。 「相席屋で出会って3回デートをした相手がいるんですけど…」と占い師さんに出会って冒頭で前のめりにしゃべっていたのにも関わらず、今の私は「誰?」
ありがたいことに仕事も楽しくやらせてもらってるし、気にしてくれる友達もいる。電話をしてくれる家族もいる。 なのになぜ不安になる夜があるのか。 一体全体不思議である。 瞬間瞬間ではきっと楽しいはずなのに、不安が勝ってしまうときがある。このまま仕事を続けていいのか、いい相手もいないまま30歳になってしまうのか、自分に甘いままでいいのか、とか。他人の評価が気になってしまったり、自分が悪いことをしたんじゃないかと不安になったり。 周りに誰もいなくなるんじゃないかと思った
有言実行でランニングをしてきた。とはいえ初めてなので5分走っては歩きの繰り返しのインターバル走。 もうやめたい、まだやれるの繰り返しでなかなかの自分のわがままさ加減に笑ってしまった。 今やめたら自分のことを嫌いになってしまう。だからもうちょっと頑張ろう、と重たい足を引き返した。 帰宅してから筋トレもした。 我ながら今日は自分を褒めるところしかないと思う。 食事のカロリー計算もした。 今日は摂取カロリーよりも摂取カロリーが低い計算なので痩せているはず。こういうこ
自分の成長と同時に大切な人を失ったかもしれない。 元々自分の感情を人に伝えるのが苦手だ。 今まで私と向き合って励ましてくれた人に私の気持ちを伝えた。言うつもりはなかったけど、ポロッと言葉が出てしまったのだ。(お酒って怖い) 不思議と後悔はしていなくて、むしろ「よくやったぞ、ひがしら」と自分を褒め称えた。 保守的な私がドラクエのコマンドで「ガンガンいこうぜ」を無意識に選択した。ちょっぴり自分を好きになれた瞬間だった。 しかし、そのときは受け入れてくれたお相
仲良かった人が自分の手からこぼれていくような感覚がある。 この例えようのない感覚は不思議だ。例えば職場の後輩が以前まで仲良くなかった先輩と仲良さそうに話していたり、友達同士でわたしの知らない話をしていたり。そして仲良い人が褒められたとき、なんとも複雑な気持ちになって、自分の能力の至らなさを感じたりする。 この感情は言語化できそうで言語化できない。 やきもちなのか寂しさなのか承認欲求なのかなんなのか。 Twitterでとある記事を見つけて腑に落ちた。 自己関連付け
歳のせいか昔は平気だったことが最近はやたらと苦手になった。 今年で30歳になる。自他ともに認める節目だ。 自分でも意識してしまうのだろうか。昔は気にならなかったことが苦手になったなとヒシヒシと感じる。 最も変わったなぁと思うのは"寂しさ"に弱くなったことだ。 元来、私は1人が好きだ。人と何を話していいかわからないし、色々考えながら会話をするのも苦手だし、何より人見知りなので人と接した後、ドッと疲れが出る。だから1人が好きだった。 ところが今では人と話せないと
最近友人から「自分のことを大切にね」と言われることが増えた。とてもありがたい言葉だ。 みんなはどうやって自分のことを大切にしてるのだろう。自分を大切にする方法がわからなくて何人かに聞いてみた。 ①自分がやりたくないことはしない ②NOを言う ③自分の心が満たされることをする ④出来ないことよりもできていることに注目する ⑤些細なことでも自分を褒める ⑥生きてるだけでえらい! 聞いてるときに思わず「なるほど…」と腕を組んでしまった。 私は自分で言うのもなんだがス
わたしは自己肯定感が低い方だ。 なぜ自己肯定感が高くならないのだろうか。 長年の疑問が最近解決した気がする。 自分の成功イメージや理想が高すぎることが起因していると思う。 例えば仕事に関して。 割とそつなくこなせている、良いイメージが自分の中にあって、失敗したときにイメージとの落差が起きて過剰に落ち込む。 失敗している自分を認めたくない自分がいる。 仕事ができないと認知していれば失敗してもそこまで落ち込むことはないのだろう。 ようはプライドが高いんだろうなと自覚す