リーダーシップを必要としているのは自分自身
30代に突入したので、20代で読んでよかった本を読み返そう企画#1です。
今回は、新卒で入社した会社で先輩に俺のバイブル、と言って薦められた「リーダーシップで一番大切なこと(酒井穣)」から一行をご紹介。
当時所属していた会社が、リーダーシップ開発を専門としていたので、多くのリーダーシップに関する本を読みました。
そのほとんどがリーダーシップとは他者への影響力の行使と定義しているなか、本書ではリーダーシップにフォロワー(他者)の存在は実は関係ないと書かれています。
なぜなら歴史上の人物である、坂本龍馬も吉田松陰も歴史のチャレンジを受けて英雄視されるようになったのであって、その時点でのフォロワーの有無は関係ないからです。
ではなぜ、自分自身がリーダーシップを必要としているのか。
それは生きている意味なんてないからです。
生きている意味が生存にあるならば、飢えで死ぬ人がいてはおかしいし、幸福にあるのならば、不幸の末死ぬ人がいるのはおかしい。
つまり、生きている意味がない、言い換えると完全に自由ということです。
それは上も下もない、宇宙空間を浮かんでいるもので、自分なんていてもいなくても良いということを認めることにつながり、多くの人が苦痛を感じます。
だからこそ足場を欲するわけですが、この足場こそ自由を規制するものであり、価値観です。
そしてこの価値観は、良い大学にいくべき、マイホームを買うべきといった社会によって教育される外発的価値観と自らの基本的情動に沿った内発的価値観の2つがあります。
基本的情動とは、喜びや悲しみなどもって生まれた感情のことですが、これが外発的な価値観によって、ゆがめられることがあります。
例えば、こんなことが怖いなんて男として情けない、こんなことで喜んでいるなんてしょうもない、といったように自分の本来の基本的情動ではなくゆがめられた2次的情動を自分の感情として認識することがあります。
こういったことによって、自分らしさ、というものが分からなくなり、どこか満たされない感覚や不安感がぬぐえないわけです。
そしてだからこそ、リーダーシップを求めているのは自分自身ということです。
まとめ
論理展開を随分簡単にしてしまったので、納得しづらい部分もあるかもしれませんが、本書ではもっと丁寧に説明があり、初めて読んだときに、生きていく土台をつくってもらった感覚がありました。
何度読み返しても発見がある、バイブルです。強くお薦めします。