もっと雑に撮れば、写真はさらに自由になるような気がしている、今のところ。
宇野駅周辺をこの2日散々行ったり来たりしていて、気づいたことがある。
信号の切り替わりが早いのだ。
僕の歩く速度は遅くないから(普段、奥さんからもっとゆっくりって言われるくらいだから)、おそらく信号が切り替わるのは早いはずだ。
せっかく数あるnoteの中から立ち寄ってくださった方には申し訳ないけど、調べてみると所轄の警察が地域によってある法則に基づいて決めているんだとか。
車の流れ、人の行き交い、電車の時間、お店の営業日、雲の動き。。。
いろんな流れでその街の流れる時間は作られているんだろうな〜って当たり前のことを当たり前のように納得して、ようやく少しこの街を知ったつもりになった気がした。
GRⅢというカメラを使っていて、この子は電源を切るたびに合計撮影枚数と1日の撮影枚数を教えてくれて、今日全然撮っていないですよって言われている気になる。
今日はそんな感じしなかったのでよく撮ったんじゃないかなって思うんだけど、ぼくのこの感じの写真は雑な写真だと自分で定義している。
一般的に、雑というと丁寧さを求められそうだけど、こういう写真には「生っぽさ」が添えられてくる気がしている。
写真を撮る場所、撮り方は色々あるはずなのに、気づけば観光スポットのテンプレートみたいな場所、どこかの誰かの撮り方でしか撮っていないってことありませんか。
誰かに採点してもらったり、合格をもらう必要があるわけではないのに、まるで模範解答を取りにいっているように見えるかもしれない。
そういう写真もすごく素敵。
だけど誰かの目線や評価を気にしない自分たちだけの写真も撮り始めると、今よりもっと自由なものが見えてくるんじゃないかなって今は思っている。
■カメラ
GRⅢ
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