SNS戦略とかそういうのいいから、やっぱり大事なことは続けるということ、それだけ。
こんばんわ。
岡本晃です。
まあ今日は色々夜にあって、バタバタしてました。
久しぶりに頭パンクパンクでした。ラーメン食べたい。
今日のお話はあくまで僕の考え、想いなのでだれかの何かを否定したり、
批判しているわけではないのでそこんところお願いしますね。白黒つけたがりではありません。
いきなりですが、僕結構自分のプライベートも呟いたり、投稿したりしてるんですけど、あれって、フォロワー減る要素の1つらしいです。
まーそうだよな〜。
写真みたいから、フォローしてるんだし、写真以外のこと投稿してくると外したくなる人もいるよなーとか納得する部分もあるんですけど、僕人間なので、写真以外の事というか生活してるんで色々あるわけです。
だから、投稿しちゃうんですよね。
きっとSNSに向いてないと思ったりしてます。
でも、それでも繋がってくれてる人はいるし、リアクションくれたり、誘ってくれたり、教えてくれる人はいるわけで、僕はそこを大切にしたいなと思ってます。
だって見えない相手と付き合えないだろって思うんです。
だから、はじめましての人に全力で岡本とはを見せてるつもりです。
人間は寂しい生き物である、という。
SNSの繋がりって、どんなにフォロー・フォロワーが増えても、そこを実感しにくいから、なんか必死になっちゃうし、いいねとか気にしちゃう人もいるのだと思ったりする。
それがコロナさんのせいでますますオフラインで会う事ができなくて、そうした中ほんとの意味での繋がりが輝きを増してるからこそ、そこに今需要があるのかなってみてます。
常々思ってるのは、自分がもし死んだ時にどれだけの人が想ってくれるのかということ。常に「死」というのをどこかで意識している自分がいます。
じっちゃん、ばっちゃんとか身内が亡くなった時にめっちゃ涙流してくれてる参列者の人とか見た時に、そんなに愛されてたんだ。繋がってるんだなって思ったのが印象的だった事があって。
その時の事を考えると、今SNSで繋がってるどれだけの人がそういう付き合いをしてくれるだろうかと思う。100人中100人なんてことは無いだろうけど、せっかく繋がった縁。そういう濃ゆい付き合いができる人をどんどん広げたい。
そのための1つの活動表現として、僕には写真がいる。
写真も諸先輩方が築いてきた道があって、今はただ作品をそのままに出せば
いいという時代でも無くなってきた。
そして、コロナさんでまた1つこの世界のあり方は大きく変わってくる。
オンラインでオフラインの体験をいかにもたらせれるか、写真を撮るだけじゃなく、企画・運営もしていかないと写真で生きていけない時代になってくるし、もうなってきている(と思う)。
昨日、写真仲間ともあれこれ企画の話しとかして、もちろん僕もそんな事を考えてる1人。
だけど、根本の根っこはブレずに最終的には、あとでまた見たくなる。あ、あの写真よかったなって振り返ってもらえる。そんな写真を撮りたいし、そういうのにシンパシーを感じてくださった人たちと騒ぎたい。
写真が撮りたいのだ。
とはいえ、「まっ写真は微妙だけど、人間的に好きだから〜」の方がもしかしたら僕は嬉しいかもしれない。
僕が、最近インスタライブ でやってる「写真を語る夜」はそんな人たちを
増やしたいというある種の願いかも。
そういうあれこれは、一夜漬けで完成なんてしないから、もう続けていくだけ。それも必死に。
チートでいけても面白くないのだ。
最後に。
もちろん、フォロー・フォロワーももっと欲しい。
それはその分だけ世界広がると思うし、そりゃ渾身の1枚多くの人に見て欲しいよ(笑)
今日はほんとに色々あったんですよ。
で、ほんとに繋がってるというか最後に支え合える人がいることの大切さに触れたので、なんだかそんなノートになりました。
それでは以上で、また次回。
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